Author:やる夫達のいる日常
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勇者アスランは魔王を倒すようです
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婚約破棄令嬢は告られたい
クランリーダーとして求められる、たった一つの大きな資質
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『ヒーロー』を創りたかった漢達~脚本・監督・主演:僕~ 第一話:僕が来てしまった
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ショーダウン ~ポーカー学園都市の魔物~
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V ...::ヾ=:、 >ヘ'´ ;' ヾ、 / フ''丶- 、.,_ | \ ゙:、
i,::::::::::::::::! 、 'ー― レ''´ ,.、 '" ゙、 ` ''ヽ、! `ヽ、 '、
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K:ヽ-、-、,,.. -、__〉、 / ヽ ',
`ヾ┴'´ `´ \ ゙;
ヽ、_i
それでは読者投稿行きます!
『 東欧のヤババな民族問題 ガリツィアという惨劇・ウクライナとポーランドの狭間で 』
/: .,: : : i: : : : : : : : : : : : : ,、:: : : : : : : : :.: |: : : ::::::::::::::::::|::::::::/::::::::::::::::
: : ,|: : /: : : : ∧: : : : : . :: ::|ヽ: : : : : : . .::.| : : :::::::::::::::::::|:::: /::::::::::::::::::
/|::/: : : ―ト-、:ヽ: :.:: : : | 斗―‐―-:::.i::::::::::::::::::::::::::|:::/::::::::::::::::::::: 「東欧のヤババな民族問題」を見返していて
|: : :.:|::::::.::| レ' \ :::::i __ \ヽ、:::::|: ::::::::::::::::::: : |/::::::::::::::::::::::::
レ::::: |: :::ヘ:i ィ=ミ、. \| -‐≦==ミ、|: ::::::::::::::::::://:::::::::::::::::::::::::::: そういえば、東欧の民族政策の破綻した例の話を
|: : :::| : : :ヽ`ト':::} イ゚'::.:::::i} 》 i:: :::::::::::::::://iヽ:::::::::::::::::::::::::: していなかったと気付いたので
|: :::∧: ::: :ヽ代ソ マヽ‐ソ/ |:: :::::::::::::::/:|〉 }:::::::::::::::::/|::::
|: :/ ヽ:::i:::::i , `¨´ i::::::::::::::::/: / /::::::::::::::::/ レ
|:/ |::|:::从 ヽ |:::::::::::::::::::/イ::::::::::∧/ 往復書簡とは別の、ちょっとした悲劇の話を書きます。
/ i: | :::∧ |:::::::::::::::::::|::::::::::::/
レヽ::::::ヽ `` /::::::::::::::/::/:::::::::/ 長門有希です。
ヘ::::::::i\ イ /:::::::://レヽ:::/`ヽ
ヽ:: | ヽ _ < レ'|::::::/|/ i ∧'/:∧
ヽ| /ヽ |:::/ / /:::::::::∧
_ イ .∧ i/ /::::::::::::::::::::ヽ
,ィ´/ / / .〉 ノ ./:::::::::::::::::::::::::::::::\
__ ______ ____
,´ _,, '-´ ̄ ̄ ̄`-、._ `:
'r ´ q_
,'==─- -─==キ
i イ iノ\イ人Mル/_ルヽイ ゆっくり霊夢だよ。
レリイi (_ヒ_] ヒ_ン_) iリルノ
| !Y!"" ,___, ""'!Y!| それで、ガリツィア(ハーリチナ)の話するんか?
| L.」 ヽ-ノ L」 |
| | ||.ヽ、 ノ||. |
ルレ ル`ー----‐イル,
_,,....,,_ _
-''":::::::::::::::::`' 、
ヽ:::::::::::::::::::::::::::::\
|::::::;ノ´ ̄\:::::::::::\_,. -‐ァ
|::::ノ ヽ、ヽr-r'"´ (.__
_,.!イ_ _,.ヘーァ'二ハ二ヽ、へ,_7
::::::rー''7コ-‐'"´ ; ', `ヽ/`7 ゆっくり魔理沙だゼ。
r-'ァ'"´/ /! ハ ハ ! iヾ_ノ
!イ´ ,' | /__,.!/ V 、!__ハ ,' ,ゝ まあ、そうだな。ガリツィア地方だな。
`! !/レi' (ヒ_] ヒ_ン レ'i ノ
,' ノ !'" ,___, "' i .レ' ..この地域の民族史は、始まりから終わりまでとにかく悲惨の連続で
( ,ハ ヽ _ン 人! .複雑怪奇なんだゼ。
,.ヘ,)、 )>,、 _____, ,.イ ハ 今回は、そのあらましだけ話す。
.
東欧地図
/
r㍉へ Arctic Ocean /
rvx _rv‐' ′ く/}_____ r‐ァ {
_戈ムkv气 f^ ⌒^”''*、 \_ ┘
_) } rく 、__ _ノ /⌒\
^ー===-‐ ´ _xイ \ ̄^´ く
_j「 ┌‐┐ ト、_辷''′
> / / ⌒′
North Sea / _丿/ r┐ r㍉
r‐‐'′ / { c 廴㍉ 廴j
ァ .{ } {j rj く⌒>
__ 〈__ 人 廴,,__,,. ‐=ァ`´ r┐
Atlantic Ocean 〈) /^ア _ア ハ C _) __r‐ ⌒7´ `.′
c イ ⌒> \_,/ ; c / こjヽ 【エストニア】
__,ハ,_ く K r‐ヘ_Ⅵ rj { ({ ./^\}
√ _ア.弋 .} { _У。Ⅵ _,,.ノ { 【ラトビア】
′ .{ __〉 V _〕〔C乙└く .ノ
く_,,.. ノ__,ノ^′ {__ ___ _〉 廴,_rz,. 。s≦`ー┘【リトアニア】 ●モスクワ市
え,,__ _〕 /⌒^
r≦_r气____,,戈 __,rく 【ベラルーシ】
______ノ⌒^′ 【ポーランド】
r‐‐ヘ__} ̄\ 【ウクライナ】
\_ /}
] 【モルドバ】.. / /
〉 /⌒¨ア く__,,.イ
r‐‐ ..,,_ { ___ _j └ヘ_/⌒ ^≧s。.,_
.〉 ^⌒''*=┘ _ {⌒V} / \
{ r‐‐ 、__ /⌒ヽ ト、 .乂 ,′ Black Sea __ノ
/ _j r┐人 V ^''*、 { 。s≦=‐‐-=≦ ̄ }
/ ,.,*''” V \ \__ ヽ ≧xr‐‐ '′
7 / rヘ \_ `ヽ、 } rzrヘ{⌒7く_/
_└‐┐ > C ゚ ノ } ^ヽ .r‐、> V 乂,,__ 乂
八_,--=z,,__r‐┘ `ー′ .〕 〉 \____<^ _戈_
ヘ,__ ___ __ r‐=‐ヘくノ く⌒ r㍉ c 。 く_ r气____,,ノ^^!
/ `^⌒ー=≦ ̄ ̄ `´ ̄ ⌒>x. ^⌒\〉 トfN} 。 ゚ c `^ー=彡 ___ァ、 Y
〈 Mediterranean r-=┐ rj 廴_ノ }
冫 ⌒^´ /
廴__ ,′
 ̄ ̄
.
現代のウクライナ地図
ゴメリ市
(ベラルーシ) 〇
【右岸ウクライナ】 ← ドニエプル川 → 【左岸ウクライナ】
・ /``丶┐
・ /'^ヽ/ `´}
i^ヽ/´ ̄ー-- ‐ー-‐-ー-- ‐ー-‐-ヽ-、 ・r'′ [
{ `´}〈 ∟ (ロシア連邦)
\ '^く  ̄}
> キエフ市 ・ 〕
/ ● ・ ~^ヽノ\
r'′ ・ ハリコフ市● `´``丶
/ ●リビウ市 ・ └┐
_}′ ・ <
_ヽ ・・ >
〉 ・・・ [
/ ・・・ 入
〉 ザカルパッチャ地方 ・・・ }
 ̄ ̄`丶-∟、● .. r‐ー~^ヽ ・ ・ ・ ルハンシク市 〕 旧スターリングラード市
└┐r 、 /´ ̄\ ``丶┐ ・ ● } 〇
__/´ ` ̄`ー'^丶_/ ̄ ̄ }、 `´} ・・・・ (
/´ }、 { ・ ● _│
r'′ } モ ル ド バ \ ・ ドネツク市│
/ \ { ・・・・ ,..-‐-‐フ
_}′ }、 `ヽ ・ ィ'''´ ノ
{ } rヘr、 〈_ r~--、 ・ ィ'''´ ,.ノ
‐ '′ j{ } `⌒ヾ、/ > ・ ィ'''´ \
ル ー マ ニ ア { r'′ / `⌒ ー= ィ'''´ /''''
} } r┘ r''′ r''′ィ'''´ /
\_ `く ,..- 、: r''′ ^ヽ _ _/
`> `´ __ { ー-、, 二_}└┐
Z >く_/ 〕_ r'′ ``丶
`丶√> 〉 ``丶
ビ ア \ /
r √ > ,..-‐ ⌒ー-、,、 〉
}、 `⌒ ー-- ‐ー-‐- 、__/ ` ー{:
.
第二次世界大戦直前、1930年代後半の東欧地図
( 意外と上手く作れたのでビックリ )
(今のヴィリニュス市はリトアニア首都)
↓
:。{} _,/V i_\ スウェー { : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : } リトアニア 「 「 ̄ ̄ ̄ ̄\
:‐、_: :} [: : :/ デン ヽ: : : : : : : : : バルト海: : : : : : : : : : : : }_._. _ / |  ̄|
: }: ヽ-、 <: : :`‐--'⌒‐':∧: : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : :___! `--'丶、 」 | 〇ポロツク
:~∥<ヽ_/フ : : : : : : : : : : `-' : : : : : : : : : : ___: : : : : i / │ | \ スモレンスク
:: : : : `‐-'`: : : : : ,、: : : : : : : : : : : : : _,-‐'~ _! {_: : : _,-' 〉 │ 〇 | | 〇
:--、,-,: : : _,--v' `>: : : : : : : : : _/ ∠ ○ ̄/ 東プロイセン {_入/ ヴィリニュス 〕
: ∠,、 / C-、_: : _,-‐' ̄ ,ー'ダンツィヒ' (ドイツ領) __,-' | [ ソ連領ロシア
: ~ ~~ \ └、,-、,、 _,-‐' 「 〇 |
: / \i ̄ \ ミンスク |
/ 〇 入 \ ←(今のグロドノ市はベラルーシ領)
ベルリン ,--‐' グロドノ | 入
◎ } ワルシャワ | ベラルーシ ╲
] 〇 ] (ソ連領) |
`-、_ ポーランド第二共和国 [ 〈
`i_,-、 │ ╲
ドイツ国 `i 」 ┐
_ュ_ ,-、  ̄\ │ ╲
_,-‐' `‐、_,、 く 〉 マズィル ゴメリ | ̄
_ ,-、/ プラハ く i‐-、__ _> 〈 〇 〇 入
{ V 〇 `‐' く_,、i~ クラクフ リビウ 」_ ,..─‐ー~ヽ '´ヽ_ /
`> \ 〇 〇 ,/ `- ' ←(今のリビウ市はウクライナ領)
\ チェコスロバキア └i__/\ ,─、_/ ̄`-、 │ キエフ
`-、 凵 入 | 〇
└、 ,‐-、__ \ |
_入_,ノ `‐'^┐ .,,,, }、 │
ミュンヘン _,-' 〈 / 入.. ● 入 r'^丶^ー~^ヽ
○ く_ i`-、__」 ̄  ̄~~入─-、 }/ ★ ``┐ ウクライナ
_,、_,、〈 ,-‐' ,‐'  ̄ ̄ ̄ ´} (ソ連領)
`‐'i_/ `' オーストリア コ ハンガリー ..} {
__ } 〈 \
、_,-'`'^'~ └i ,-'^i ノ '′ 〇 { オデッサ
`─---、__ / ̄`'~ 〉 〉 ルーマニア キシナウ. `ヽ 〇
イタリア 〉  ̄`'ユーゴスラヴィア\ , 、r‐ '´ ̄ 〈_ r~'^
> /``ー- ' ヾ、/ : : : :
/: : : :
●が、現ウクライナ領ザカルパッチャ地方 ↑
★が、現ウクライナ領ブゴヴィナ地方北部 (この頃のモルドバは全域ルーマニア領)
さらに言うと、1922年に国境が定まった当時のベラルーシは
ミンスク市~マズィル市までしかなくて
ポロツク市やゴメリ市は1924~26年の間に追加されたもの。
厶イ ′ / // イ ′ / l | 、 \ トノ
/ / .゙ //__/_! /:i /V ./__! l 、 〉|
. / /.オ :! .ィ1 / j/ l ' | ./ │∧ i ハ! .ガリツィア地方とは、どこであるか。
厶イ/ | レリ l/-=ミ. |/ |/ .ォ=j/ li :| ヘ 、、、、、、 、、、、
/:| |i { lfイi::::::ト イi::::j7'リ :! <ヽ それはワルシャワとキエフの間である
. / | . イヽ '. バぃ:シ ヒ:.ソ /} ト、iヽ\
レ | ハ '. ∧ ′ /仆:.| \ 、 ウクライナともポーランドとも言い難い領域であり
"y⌒i ゝ∧ n .イy′l| ヾ ウクライナからもポーランドからも独立できなかった地域である。
| |ヘ\≧. ___ . イ、:/ リ___ _
| | ヾソ フ′ トx” ̄ ̄ :i | | ヽ
_j V´ ̄ ./ __ ´| | | | ーx (上の地図で言うと、クラクフ市~リビウ市のあたり)
i´ ! __j_ /r─二| | | | / \
rf ヽ \ `´ .イ / ̄ヽ.| l l ′ |
. ハ 、__ト .ノ .イ レ′ j .// / ! \
// 厂 ー‐一 | | | // / l! ヽ
. //ノ 〉 ゝ. | .// / /lー-
__ _____ ______
,´ _,, '-´ ̄ ̄`-ゝ 、_ イ、
'r ´ ヽ、ン
,'==─- -─==', i
i イ iゝ、イ人レ/_ルヽイ i | フランスともドイツとも言い難い
レリイi ,__. ,__. | .|、i .||
!Y!"" ,___, " 「 !ノ i | アルザス・ロレーヌ地方 みたいなもんか。
L.',. ヽ/___) L」 ノ| .| (エルザス・ロードンリンゲン)
| ||ヽ、 ,イ| ||イ| /
レ ル` ー--─ ´ルレ レ
_,,....,,_ _
-''":::::::::::::::::`' 、
ヽ:::::::::::::::::::::::::::::\
|::::::;ノ´ ̄\:::::::::::\_,. -‐ァ
|::::ノ ヽ、ヽr-r'"´ (.__
_,.!イ_ _,.ヘーァ'二ハ二ヽ、へ,_7 そうだな、20世紀に入って民族主義が高揚するや否や
::::::rー''7コ-‐'"´ ; ', `ヽ/`7 即座にヘイトクライムとジェノサイドが勃発した、典型的なブラッドランド(流血地帯)だ。
r-'ァ'"´/ /! ハ ハ ! iヾ_ノ
!イ´ ,' | /__,.!/ V 、!__ハ ,' ,ゝ
`! !/レi' (ヒ_] ヒ_ン レ'i ノ 民族歴史学では〝破砕帯″と言ったりもする。
,' ノ !'" ,___, "' i .レ'
( ,ハ ヽ _ン 人! これは元々地質学の言葉で、極端に脆く崩れやすい地層のことだな。
,.ヘ,)、 )>,、 _____, ,.イ ハ
.
, . : :―――: : : .
,. : :´: : : : : : : : : 、 : -: `: : .、
/: : : : : : : : : :, : : : : : : : : : : : `: 、
/: : : : : /: : :/: : : : : : : : : : : : : : : ヽ
:': : : : : : /: : : :/: : : : : : : : :\: : :\: : : : \
/: : : : : : :/: : : :/: :{: : : : : : : : : :': : : : ヽ: : : '.: \
': :/:,:|: : : :|: : : /|: ∧: : : : : : : :|: } : : : : :V: : : '.⌒\
/:イ:/: |: : : :|: -/-|/-、l: : : : : : :/:,ハ: : : : : :|: : : :.|
/イ: ,:|: : : :|: / { ,: : : / : /}/-|、:, : : : |: :∧:| .この地域の歴史の始まりは
|:/r|: : : :|ィて雫ミ /イ∨ : / / }/: : : : |:/ }/ .リューリクの児、イーゴリの築き上げたキエフ・ルーシである。
/'乂|: : : 八Vzソ /:イイ雫ミ、/}/ : : : |′
< 从|: : :|:| Vzソ' /}: : : 从 10世紀には、キエフ大公の分領の一つ
r<\\ l:∧ : |:| ' ム⌒}: ∧} ハーリチ公国とヴォルイニ公国がこの地にあった。
/ニニ\\\}' '.: :込、 /「V_ノ V
,ニニニ\\\ ∨{ ` _´_'__ _r=升==ミ´ }_
|ニニニニ∨V∧从{{「 ̄ ` - '}}={{ /,{ {ノ'}} V-、 1240年に、キエフ市がモンゴル軍によって滅ぼされた後に
|ニニニニ、∨V∧ 乂_`ヽ ノ'} 乂__/八_ノ'_r }ニム
|ニニニニニ∨V∧ |\ ̄_´_/ / ̄ニ} 、_ ノニ}ム 二つの公国は合併してハーリチ・ヴォルイニ大公国として独立するも
|ニニニニニニ\\'. }\___/ //ニ{ニム_/ニノニ∧ ポロツク市・トゥーロフ市を下したリトアニア軍と
|ニVニニ\ニニニ}\\'.\__,/ //ニ}ニ∨ニニニ/ニニニ} ..クラクフ市方面から来るポーランド軍の侵攻に耐えられなかった。
|ニ∨ニニ>---{ニ\\ / /ニ/{ニ\_/ニニニ,イ
Vニ∨ニニニニ/⌒ー--´--く-、ニ,' ∨ニニニニニニニ} 1349年にはポーランド王国に併合される。
Vニ∨ニニ/ニニニニニニニヽニニヽVニニニニニニj
.
キエフ・ルーシ地図
〇は後世の、あるいは外国の都市
::/ _ |\__
/::::::`| "}:::::ヽ--/::/
__/:::::::::/ }::::::;;;;;::::!"
,,,,,--''::::::_/~ └;;;ヽ " 北極圏一帯はノヴゴロド領
):::::::::/~ ~~ (名目上の宗主権?)
/::::::::::::| フィン人 __
|::::::::::::ノ :: ::: ____ l:::ヽ
|::::::::::\ __ l:::::::l ~`l:::{ ●ウスチゥグ
__/::::::::::::::::~~:::::::::::ヽ `-- ⌒
:::::::::::::::::::::::::::::_/ ̄ヽ―〆
:::::::::::::::::::::::::::::} ‐【ノヴゴロド】‐
::::::::::::::::::ノ冖::::!''
:::::::::::::::| ●ウラジーミル
::::::::::::::i
 ̄ ̄¨´ ● 〇モスクワ ●ムーロム
ポロツク
●スモレンスク ●
リャザン
ワルシャワ トゥーロフ
○ ●
ヴォルィニ ●チェルニゴフ
● ‐【キエフ】‐
●ペレヤスラヴリ
●ハーリチ ○サライ ←モンゴル軍(キプチャク・ハーン)
,,,,, ___/``\ が構えた首都
,,,,-- ___/::::: ハザール・ハン ../:::::::::::::::|
i┘::::::゛‐‐ ;;::::::::::::::>~ _/::::::::::::::/^^
__/::::::::::::::ヽ __--;;;-′ /::::::: カスピ海
ビザンチン帝国,,/::::::::::::黒 海 :::::::::::::::::ヽ_ ヽ::::::::::::::::::ヽ
↓ ./::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ |::::::::::::::::::::\
.
/:::/::::/::::::::::::l::::::::|:::::::l:::::::::l:::::::::::::::::::::ヽ:::::::::::::::::::::i:::::: その後、現ウクライナ領のほぼ全域が
/::;イ::::i::::::::::::::| ::::::l|;::::::li;::::::::|、;::::::::::::::::::::l:::::::::::::::::::::l:::::
.l::/ l:::::|::::::::::::/!::::::| li::::::lヽ::::::l. ヽ;:::::::::::::::::l::::::::::::::::::::l:::::: ジェチポスポリータ
|::l | ::::|::::::::-i-L;;_l .|!i:::::l ヽ::::l ヽ、__;;;;::::| :::::::::::::::::l:::: ポーランド・リトアニア 貴 族 性 共 和 国の領土となった。
|:! .|::::::l::__;;;|_ l:::l`ヽヽ;:::l ヾ;レ‐'''゙゙´\ :::::| ::::::::::::::::l:::::
l! .|:::/ ___ノ,ィ'ト|''=ミ、 ヾ! ,r-=fニミ;;弍;;| :::::::::::::::l~゙'i しかしこの地はオスマン帝国・タタール(モンゴル)軍・ハンガリー王国との係争地である。
l/ ,/ト、::l゙__゙ヾ::ii::|ヽ ,/ .|:::illi:::゙ii/ |:::::::::::::::j¨゙ l ワルシャワ政権は、この地に安定的な支配をもたらす事に失敗する。
/⌒ヾ、|/`fト l ゙K);j .l'⌒''h. K);;;;ッリ l:::::::::::::/ .ノ
/‐-、 `iノ /'ヽ|、 ノ ヾ、 ,/ |:::::::::::/=7゙
./ 、. ヽ |゙V,_ l:::i、 ̄ 丶 ゙''ー-‐'' ,l::::::::::/|:;/ .結局のところ、ここはポーランド王国にとっては『外地』であり
i '゙ヽ_j-' .|::::|.\ ‐- ,,イ::::::::/ ,l/ ポーランド・シュラフタ(貴族)にとっては『植民地』でしか無かった。
ヽ ヽ jl:::::l. ヽ、 , ''゙ /:::::::/゙`ヽ、
ヽ、. /ヽ::::| ,,`=ー '''i´ /:;/レ'〉;:;:;:;:,.,\ ここからウクライナ人とポーランド人の対立が始まるのである。
/ /. ヽ:| ,,r''゙,.;:;:;r''゙~ノ /イ /;:;:;:;:;:;:;:;:;:;
__ _____ ______
,´ _,, '-´ ̄ ̄`-ゝ 、_ イ、
'r ´ ヽ、ン、
,'==─- -─==', i
i イ 、ノイ \_ルヽイ i |
レリイi (ヒ_] ヒ_ン ).| .|、i .|| ・・・・・あれ、ロシアは?
!Y!"" "" 「 !ノ i |
L.',. O L」 ノ| .|
| ||ヽ、 ,イ| ||イ| /
レ ル` ー--─ ´ルレ レ´
< ̄'''' ─- 、
\:::::::::::::::::::::\
r-ュ、::::::::::::::::::: ヽ,-fス
`>_`ニゞTユ'二__ _<~
/:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\ hahaha
/:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ_ そんな外様で成り上がりな国家の出番などは無い。
<::::::::: ハハハハハハハハハ::::::::::ゝ
\l / /N人八 从リノ))/ 第一、ロシア帝国という存在自体、『ツァーリ』『東方正教』『ロシア語』
丿 i / . ヽノ .ヘ ノ} を基準として国家であって
彡 ,=! { レ ) ロシア民族主義とは本来別系統の国家なんだから。
ハ l ヾ! > ヽ_フ l )(
> ヽ y > /ロ< ゝ ..17世紀のロシア帝国貴族の出自を示した資料なんか読むと
丿 Yl 从 ≧, __ , イ ハノ く .ロシア貴族全914家門の内、純粋ロシア系は23%しかいねーもん。
ハ 彡li(::::)::{__}::::|____> (但し、この資料の信頼性はちょっと弱い)
.
-―──- 、
/ / / ̄ ̄ ̄ 、
/ / :/⌒ \
/ / :/ / \: \
/ // . :/ .:|{: i| / \:. ,
/ /// : //.:.〃|{: l| :| :i ゚,:. ′
/⌒7// / : //.:./i| :|{: l| :| :| :i|:i .:i: .:i:.
/ i| i :i .:i :i | ://|| :|{: l| ', ',: :l|:| .:|i :i| i ロシア帝国軍とは、元来ツァーリの為の軍隊である。
|| | i| .:| i:.:| |// :|| :| ヽ. .ll:\ \\: :l|:| .:|l :l| |i
|| | l| .i| l _|_|/_||_;|_ \l ___\_\\__l|:|_.:|l :l| |l それ故に『ロシア人の軍団』では無いのだ。
|| | l| .l| | l| Ⅳ 丿八 ` \ ´ \ )イ:i|:| .:|l :l| |l
|| | l| .l| | l|ィ斧筏笄ミ ィf斧笄冬刈 .:|l :リ八 .だからロシア帝国軍には
|| | l|:八川 忻'?�::刻: ?�::刻'刈i||: :|l //'⌒\ ..ドイツ人・ポーランド人・エストニア人・ラトビア人・リトアニア人
||:Ν{い从八 つ:::ソ つ:::ソ リ川^Y// ..ウクライナ人・ベラルーシ人・モンゴル人・エチオピア人
八{ {乂八从 ´^””´ `””^` 从}}ノ:/ .トルコ人・ペルシャ人・アラブ人・フィンランド人・グルジア人
\\|...l{{八 ' 八:}}:lイ
____|...l{{ |{_\ -..- /_]|}.}}:l.|____ ・・・等の将校が普通に存在していた。
⌒\ ... |/}{{ ||....,, >。. .。<........||}.}Ⅳ....../⌒
\... 八|l...《〈_] >-< [_〉》...l|l八 ./
\....| ....}}:::: ̄\ / ̄::::{{.... |.../ この辺り、偏狭にして固陋なるナショナリズムの出番は無い。
_‘,../.┌┐ ....\/.....┌┐.‘,../_
_ -===∨.... [卍].......}{ ... [卍] .... ∨===- _ ナポレオン戦争で驍名を馳せたバグラチオン将軍も
_ -========Ⅳ......... └┘ . }{ ..└┘.............Ⅵ========- _ ..元はグルジア王族である。
. ,xi⌒i⌒i⌒i=========={{........................ 八...........................}}==========i⌒i⌒i⌒ト,
. //| | | |=========={{..................../╋ \ ................. }}==========| | | |∧ 1914年の時点でさえ、帝国軍将校の10%以上はドイツ人であり
///| | | |=========={{\....... /〔(_八_)〕..\....... /}}==========| | | |/∧
. ////'^Y^Y^Y^\========/.. .\(. . .^\/^. . . )/ . . V=======/'^Y^Y^Y^//∧ そして彼らは勇猛果敢に、ドイツ帝国軍と戦ったのである。
/////////////{{...\==== /. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . ∨=== /. }}'///////////∧
. //////////////{{. . ..\/ . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .\/. . . .}}'////////////∧
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. ////////////////{{. . . . . .|互| . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . |互|. . . . . .}}'//////////////∧
__ _____ ______
,´ _,, '-´ ̄ ̄`-ゝ 、_ イ、
'r ´ ヽ、ン、
,'==─- -─==', i
i イ iゝ、イ人レ/_ルヽ イ i |
レリイi (ヒ_] ヒ_ン ) .| .|、i .|| え、今エチオピア人て言った?
!Y!"" ,___, "" 「 !ノ i |
L.',. ヽ _ノ L」 ノ| .|
| ||ヽ、 ,イ| ||イ| /
レル` ー--─
_,,....,,_
-''"::::::::::::: :`:\
ヽ:::::::::::::::::::: :::::::::ヽ
|::::::;ノ´ ̄\:::::::::::\_,. -‐ァ
|::::ノ ヽ、ヽr-r'"´ (.__
_,.!イ_ _,.ヘーァ'二ハ二ヽ、へ,_7
::::::rー''7コ-‐'"´ ; ', `ヽ/`7 おう、確かに言ったぞ。
r-'ァ'"´/ /! ハ ハ ! iヾ_ノ
!イ´ ,' | /__,.!/ V 、!__ハ ,' ,ゝ ピョートル大帝に仕えた、ガンニバル将軍だ。
`! !/レi'<[__]><[__]> レ'i ノ
,' ノ !|/ノ ,_,ゝ_, ノ/>i .レ' 意味は、ハンニバルのロシア語名だな。
( ,ハ ヽ _ン 人!
,.ヘ,)、 )>,、 _____, ,.イ ハ この人の曾孫が、文豪プーシキンだ。
.
_/: : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : :\
ー=ニ ァ: : : : : :/: : : :/: /: : : : :、: : : :`ヽ: : : : ヽ
. _ ll _ ./ ,: : : :〃: :/: : /: │: : : : :lヽ: : : : ハ: : : : :.ヽ
`ll´ ./ / : : //: :/: : /: : │: : : : ::|: :!: : : : i|: : l: : : :ヽ ┼
/ イ : : : l |: :│: :j : : ∧: : : : :l: :|\: : i|: :│: : : :.\ ガンニバル将軍の人生は、〝ロシア帝国″の持つ豊かな国際性を象徴している。
l/ |: : : :| l: :∧: :ハ: : l '.: : : :ハ j ヽ i|: :│: : : :}
十 ││: : l|│ナ下/-ヽ | ヾ: :/_ム'― 弋|: :│: : ! j この人は、少年時代にエチオピアからトルコ(オスマン帝国)に奴隷として売られた。
j. │: : |i V ,ィテ圷、ヽ ∨ ィチ示k l: : ト: : Ⅳ
ヽ: : | ハ` Vf:::::i} Vf:::::i} Y|: : ム N そしてトルコからロシアへと連れて行ったのが
ヽ |ヘ i l ゝー' `ー'' ハ!: :,) }i| 文豪トルストイの曽祖父ピョートル・アンドレーエヴィチ・トルストイだ。
+ .`l: :ヽム "" ' "" ./:/: :ルイ
', : : |ヘ、 < _ フ .ィ' /: :/ 将軍ガンニバルはピョートル大帝とその娘の二代に渡って忠実に仕えた。
ヽ: :lヽ >,、 イ/7: :/
__||__ \! V厶|>ー <レ_'/ // 後には正式にロシア貴族としての叙勲を受け、エストニア総督となっている。
|| , '´/ノ L、 / ..ロシア帝国という存在は、ついに最後まで黒人奴隷を持つことは無かった。
,.-' | ___._ | `ー、
_..-‐'´ |´ _` ー<| `ー、_
___ _____ ______.
ネ _,, '-´ ̄ ̄`-ゝ、_''
, ン 'r ´ ヽ、
i ,' ==─- -─== ;
| i イ ルヽレイ;人レルルヽイ i エチオピアの奴隷あがりの黒人が・・・・
||. i、|. | ⌒ ⌒ i リイj
| iヽ「 ! /// ,___, /// !Y.! 白人の軍隊で大将にまで登り詰めたんか・・・・
.| |ヽ.L.」 U ヽ _/ ,'._.」
ヽ |イ|| |ヽ、 イ|| |
レ レル. `.ー--一 ´ル レ
.
__
,..::':´:::::`"''::、,
/:::::::::::::::::::::::,__:ヽ,
,イ'‐-、 __,.-‐'´i:::::':,`'
, '-‐〉 i__} 〈‐--ヽ, __ ) ) マ――、そんなものさ。
,.-‐ゝヘ-‐'ヽ、,'´`"ヘ`r-‐、,ヘ/ l ) ) そんな時代なんだ。
,'´::::,:' ,' / /ハ ハ /ヽ, ハ (/ /
( ( ,ヘ,`'ー ! i レ'‐-レ'V -‐ iメ、iノ/ /. 19世紀初めまでの、〝白人宗教″に染まり切る前のヨーロッパに存在した
'、 '、-ヽハi (ヒ_]'` ヒ_ン (ソ) ̄ヽ/ 貴族と王統の支配するアンジャン・レジーム(旧体制)の華だな。
>、'ヽ/、 ! ""r-‐¬"" (ノ)'´゛-イ
<-、ソ/ノイ |lゝ,ヽ、__,ノ_ノ(X) ノ. この国際色豊かな、庶民から隔絶している事で成り立っていた貴族社会も
`-r'_,.,___`、ハi,`v'´ヽ/7{><}<."´ ナポレオン(ロシア皇帝で言えばアレクサンデル1世)の時代を最後に消えていく。
` ;l.:.:.`'‐'´:.:.:.ヽ|ヽ
ム'.:.:.::.:.:.:.:.:.:.i.vヽ,. .19世紀末になると、東欧各地・各民族の民族主義が高揚していき
/ ̄==="゙゙i`\'\. 貴族であっても「どの民族なのか」というテーマが、信じがたい程に激甚化していく。
__ _____ ______
,´ _,, '-´ ̄ ̄`-ゝ 、_ イ、
'r ´ ヽ、ン、
,'==─- -─==', i ふんふん・・・・・、アレ?
___________ i イ iゝ、イ人レ/_ルヽイ i |
| | | レリイi (ヒ_] ヒ_ン ).| .|、i .|| でも18世紀にはウクライナ語とロシア語の分化が始まっているじゃんか。
| | | !Y!"" ,___, "" 「 !ノ i |
| | | L.',. ヽ _ン L」 ノ| .| なのにウクライナ民族主義の始まりは19世紀末なんか。
| | | | ||ヽ、 ,イ| ||イ| /
|___________|_| ..レ ル` ー--─ ´ルレ レ´
_|__|_|_ l二二二二二二二二l
※バルト三国・ベラルーシの民族主義の始まりも同時期です。
.
' .: │ \ \
i / .: l ::: : │ ヽ ,
i / .: .::: |:: .::: │:: ' '
│ .: / / .:/ .::: .::::: |:: .:::::: /.::::: |:: |
¦ .::: / / .::/ .:::::: .::::: / | /|::::::/::::::::: : |ヽ:: |
| :::: / / .::/ .::::::::::::::::: / 十|' ナー::::/ |:::::: .::: | ヾ:: | 民族主義の定義については、ココでは
| .::: | |: .::::i .:::::::::/^、::: i | |/ レ_`ヽ|:::: .::: ノ i::|
. | ::::. |. | .:::::i .:::::::,ィ ノ.:: i: i | ㎞ミミッ_゙ /.:::/|: / i:i 「民族という単位で団結し、政治的な権利を勝ち取ろうとする運動」
ノソ, ヽ ::::..| | .:::::::i : .:::::::::/, 〈.:::::: i:: i ヾ弋゚メ゛/.::/ . ツ リ
リi l.:::::| | .::::::::i.:: ..::::::::::' ハ .ヘ.::::: i::: i .トツ // という感じで行く。
ヾ |::::| | .::::::::::i:::: .:::::::::|ゝ、ヽ ヘ:::: i::. i ヾ' 〈
ヽ. |:::| ::::::::::::::::: .:::::ハ::| 1 ./.:::: i.:: i ヽ , 例外なんて幾らでもあるが、まあ、そんな感じのフワッとしか方程式で行く。
ヽ|::| .: :::::::::::::::::::::::ノ 八 ゝ'::::::: i:::: | /
乂 .::: .::::::::::::::::::::::/. \ |:::::::::: |::::| ' ..民族の定義とはそもそも何だ?
| .:::::::::::::::::::::/|:/ : : : :|:::::::::: |:::| ‐ r´
. | .::::::::::::::::::::/ リ : : : : : リハ::::::. |::| ' ..という議論もあるが、ここでは放っとく。
ノ::::::::::::::/./ : : : : :/: : .ヽ:::::|:| /
ノ ノ::::::::/ : : : : : : r‐‐.:::||_:_..._ ノ
/.:::/ : : : : :/ハ ヘ:::::|
// : : : / 乂 ヘ.|
´ : :/ ヽ、
__ _____ ______
,´ _,, '-´ ̄ ̄`-ゝ 、_ イ、
'r ´ ヽ、ン
,'==─- -─==', i
i イ iゝ、イ人レ/_ルヽイ i |
レリイi ,__. ,__. | .|、i .|| まあ、そうしないと話が進まないのは理解した。
!Y!"" ,___, " 「 !ノ i |
L.',. ヽ/___) L」 ノ| .| それで?
| ||ヽ、 ,イ| ||イ| /
レ ル` ー--─ ´ルレ レ
_,,....,,_
-''":::::::::::::`''::..、
ヽ:::::::::::::::::::::::::::`'::.、
|::::::;ノ´ ̄\:::::::::::\_,. -‐ァ
|::::ノ ヽ、ヽr-r'"´ (__
_,.!イ_ _,.ヘーァ'二ハ二ヽ、へ,_7
::::::rー''7コ-‐'"´ ; ', `ヽ/`7 『ウクライナ民族とは何か』、というのは本来ウクライナの問題じゃ無いんだ。
r-'ァ'"´/ /! ハ ハ ! iヾ_ノ
!イ´ ,' | /__,.!/ V 、!__ハ ,' ,ゝ これは元々はジュチポスポリータ(ポーランド)とロシア帝国の問題なんだ。
`! !/レi ━━ ━ レ'i .ノ
,' ノ !'" ______ "' i .レ' モスクワ側すれば「ウクライナ人とロシア人は同胞なんだから、守らなくてはならない」
( ,ハ u !______i 人! ポーランド側からすると「ウクライナとロシアは別ものなんだから、介入してくるんじゃない」
,.ヘ,)、 )>,、.,______,. イ ハ という議論だ
( )',.イ ヽ、__ノ 「ヽ.レ'ヽノ
ノヽ/ ';::ヽ、/iヽノ::i Y 皮肉な言い方をすると、ポーランドの影響力がウクライナから一掃された事で
ri !:::::::`ー┘:::! i 「ウクライナ」と「ロシア」の対立が初めて顕在化するんだ。
./ヽー-,イ:::::::::::::::::::::!ンi
※ロシア内戦時に、ポーランド軍などは
「ウクライナ民族はドイツの政治的な発明である」と言っています。
.
,.: -――<: : ̄ ̄. : .:\
へ<_. : . . .: .: .: .: . .: . .: . .: . \
/. : .: ;/.: . : . : .: .: .: .: .: .: .: .: .: . 〉
\_ /. : .: .: /.: .: .;/.: .: . .: . .: . .: . .: . .:⌒ヽ
ー1/〉. :/. :/. : . :/ . :. . : .: . .: . .: . .: . .: . .: . : . さて、ガリツィア地方の話に行こう。
//.:/. :. .: .ハ :. .:/. .: . .〈. . .: . .: . .: .: . .: . .: . .: .:、
〈. :.ィ7 : :/〉: .r=ミ!i : .:ィ. : :ヽ: . !. : . .: . .:〉. .: . .: . .:} ここは、1772年の第一次ポーランド分割でオーストリア帝国が分捕った土地だ。
〉ヘ:|: ./. : : :|:pt八: . ト.、:.ノ: ./.: ,: .:!: ./ . .: . .: . ./
∨/ : : iЦリ \!rヘ(: .: . .: .: /../ . .: . .: . ./ 1795年には、ワルシャワ市の辺りもオーストリア帝国のものとなったのだが
/.:/.:Y lレヘ}/}: .: /. .: . .: . .: . ./
レヘ::ハ '" lrくリ: }:/.: /: .: :/.: .!:.{ そこはナポレオン戦争の結果として、
} : \ 、 7.: .: .: :./⌒Y.: .: .:人{
}ハWヘ___/:. :. :. :.イ:. ..ノ/レ´ アレクサンデル1世が分捕ってロシア帝国入りした。
/: ../)/}:人: ト、
/}/ У \
-―く::::< ヽ、
/  ̄\ヽ:::ヽ }::!
_,,....,,_
.-"::::::::::::`::..、
ヽ:::::::::::::::::::::::::::`'::.、
|::::::;ノ´ ̄\:::::::::::\_,. -‐ァ ..ここで問題なのは、「ウクライナ領域の知識人=ポーランド人」だという事実だ。
|::::ノ ヽ、ヽr-r'"´ (.__ この地の統治ノウハウを、ロシア帝国もオーストリア帝国も持っていなかったからな。
_,.!イ_ _,.ヘーァ'二ハ二ヽ、へ,_7
.:::::rー''7コ-‐'" ヽ `ヽ/`7 1588年に定められたリトアニア第三法典はアレクサンデル1世の時代まで有効とされていた。
!イ´ ,' | /__,.!/ V 、!__ハ ,' ,ゝ ナポレオンに勝利したこの皇帝が1825年に亡くなってからようやく改定が進み
`! !/レi'| ̄ ̄ ̄`-´ ̄|レ'i ノ ..1840年になってベラルーシ・ウクライナ領域で正式に破棄されるが
,' ノ ! ヽ__/"ヽ__.|.レ' ..それでも後々まで影響力があった。
( ,ハ 'ー=-' 人!
,.ヘ,)、 )>,、_____, イ ハ しかしこのこのポーランド人というのは、基本的にポーランド独立時代の特権階級
',.イ ヽ、__ノ 「ヽ.レ'ヽノ ∬ つまりシュラフタだった連中なんだ。
/ ';::ヽ、/iヽノ::i Y _ ∫
ri !:::::::`ー┘:::! i =|л=・ 1850年代でもまだ、たった40家門程度の大名(マグナート)がウクライナの土地の80%を所有していた程だ。
. /ヽー-,イ:::::::::::::::::::::!ンi ( )
※ただ、この地域には貧窮したポーランド人も多かった。
.
________________ __ __
| | , ´ `´ `'' 、
| r-──-. _ オメーの | / / ヽヽ \
| / ̄\|_CD__,,|/ ヽ 土地なんて. | .'/ / ヽ ヽ ヽ
|l r'~ヽ ゝ__.ノヽ/~ヽ|どこにも | ノィ ' / / / , ! l ヽ ゙ さて、そんな東欧地域において
|| | l ´・ ▲ ・` l ||ねーから!...| / f,' i ││ |! 丶. | | | | (ポーランド以外の)民族主義が勃興するのは、19世紀末の事だ。
|ゝ::--ゝ,__∀_ノヽ-::ノ | f | l l ,イ |ヽ!、. ト、. | | ! |
| =〔~∪ ̄ ̄〕 ドアラ .| l ,.イ ヘ l ー!‐_、ト ヾ\ l ≠.jト、,l /! , これは地域全体の安定と発展が
| = ◎――◎ | |ハ ,!ゞV´!:::_j` `'イ::_j`メ|/,.-、l! この時期にようやく軌道にのったからであろう。
|_____________________|. f ト, ! ー' ー' ' !.ノゞ
| | `Viヾ.! ' j /| /
| | !ハ !ゝ. ´` ..イ / .しかしこれはポーランド・シュラフタ系の地主と
| | \ルヽ . ,.イノレ' 小作人として暮らす諸民族との対立が激化していく事を意味していた。
| | ` rノ ` ´ |' -..
| | / |‐- -‐ヽ \_ __ ..そしてウクライナ地域においては、
r‐.|(\ rィl´ |-- ― -- / //ァ ポーランド・シュラフタ系の地主の権力は、まさに最強であった。
>、_)ト ヽ イ ||. |ニ ニニ ニ! __ // ハ
>、_)|/ } / <~ ` 、 | 〆´ __ ゝ/ |
ゝ、,)| \ r' |:::\ ゙ヽ.._/ ,.. :´ .:::::::::::|´ |
______ _____
ヽ _ ,. ゝ-´ ̄ ̄゛''ィ、
,.<| ,.,r' ゙i
,/ -─==', え?だからロシア帝国は
i'´ ,'==ル_ソ\、.| ル、V
| i | i ト,r' (ヒ_] l ポーランド分割(1772~1795)をやって
! | i (,! 1.゛゛ ,_! 農奴解放令を出して(1861)
,'. |. |(, 」_l. ヽ ,' ポーランド民族主義者の一月蜂起(1863)をぶっ潰して
ヾi |ト|| |ト, ;'
〉´`V Vル ` ‐--ー ´ それで終わりじゃないんか?
_ ,,....,, _
./:::::::::::::::::::::: " ' :; ,,,
./::::::::::::::::::::::::::::::::/"
r‐- .,_/::::::::::::; / ̄ヽ;:::::::|
__.) `''ァ-ァ'"´, ' ヽ:::| だがそれでも、地主の力は強かったんだ。
ゝ_, '"ソ二ハ二`ゝ- ヘ 、_ _ ゞ!._
、'"γ, '´ `"''‐-=ブ、_,:::::"'''- , 1840年代に、ロシア帝国領キエフ市の総督が
く_i イ iゝ、イ人レ/_ルヽイ~i-ニ,ァ' '"
レリイi (ヒ_] ヒ_ン ).| .|、i .|| ロシア皇帝に向けて出した嘆願書が残っている。
!Y!"" ,___, "" 「 !ノ i |
L.',. ヽ _ン L」 ノ| .| ゼムストヴォ(地方自治の為の住民議会)を導入して
.| ||ヽ、 ,イ| ||イ| / \
レ ル` ー--─ ´ルレ レ´ \ \ 右岸(西方)ウクライナの農民たちを守るべきだという内容だ。
\ \ \
\ \
.
_____
,. . : :´:, :-: : --: 、__:> .
/: : : :/: : : : : : : : ヽ: : : : :`ヽ、
ー,:-´- ': : : : : ,: : : : : : : : : : : : : : : : : :ヽ
/:,: : : : : : : : /: :, : : : : : : : : : : : : : : : : : '. 嘆願書には、こう書かれている。
/イ: : : : : : : /:,:|: /: : : : : :|: : :V: : : : : : : : :、'.
/: ': : /:__/:/_l/: : : : : :/{: : : {: :|: : : : :|: :、: :'.ー 「キエフ市では、毎月のように死人が出ている」
|: |: :/: :,: :/:/ |: : : :|: :/ ミ:ト、l: :|: : : : :|: : :.、: '. ..「その内容は主人の勘気を被った作男であり」
|: ,: :|: :.|:∧:{ {: : : :}:/ \`:ー: : : : :|:\'.:\〉 ...「主人の子を孕んだが故に赤ん坊ごと殺された妊婦である」
|/: ∧: |ィr≠=ミ、: :/', -----、\|: : : : :|: : :\| 「しかるに裁判を担当しているのはポーランド(語)人である為に」
|:|:从:| Vこソ V^{ イ≧=-、 |: : : : , : :|: : :| 「総督の身であっても、捜査資料すら閲覧できない状況である」
|:| : 乂 , , , , (ノ {) Vこソノ,|: : : /V从∧| 「加害者が罰せらる事も無く、被害者の氏名すら公表されない」
/ | : : { ` ' 乂 , , , , ノ, : : / ノ : : | \
从: 人 /: : /イ: ∧: | この哀れな小ロシア(ウクライナ)人の農民たちを守る為の
V: |:\ ¨ ヽ /: : ∧:|:/ \
V:|: | 、 イ/: / }'j' 権限・予算・制度を願い出る、というものだ。
\:| ` T¨¨ /イ_
\ _'. \\
</} ヽ ヽ .1903年の資料でも、ウクライナの地主の半分はポーランド人であり
< /-、 ,  ̄ \ ..その上、不在地主の土地はポーランド人が管理していたから
r 「 /⌒\ r-- / \ 実質的には8割方ポーランド人の支配下であった。
/|:/ ,  ̄\\ / ___∧
,ニ{/ /  ̄\ / , <≧=---∧ ゼムストヴォが導入されるのが、1911年までずれ込んだのはこのせいだ。
/ニ{' / / //ニニニニニ∧
__ _____ ______
,´ _,, '-´ ̄ ̄`-ゝ 、_ イ、
'r ´ ヽ、ン、
,'==─- -─==', i
i イ iゝ、イ人レ/_ルヽイ i |
レリイi rr=-, r=;ァ .| .|、i .|| メチャクチャな・・・・・
!Y!  ̄  ̄ 「 !ノ i |
L.',. 'ー=-' u .L」 ノ| .| なんでロシア帝国はこんな連中を放置しとるんだ。
| ||ヽ、 ,イ| ||イ| /
レ ル` ー--─ ´ レ レ
ヽ:::::::::::::::::::::::::::`'::.、
|::::::;ノ´ ̄\:::::::::::\_,. -‐ァ
|::::ノ ヽ、ヽr-r'"´ (.__
_,.!イ_ _,.ヘーァ'二ハ二ヽ、へ,_7
::::::rー''7コ-‐'"´ ; ', `ヽ/`7 旧シュラフタの血統を誇るポーランド人の知識人率が高すぎたんだよ。
r-'ァ'"´/ /! ハ ハ ! iヾ_ノ
!イ´ ,' | /__,.!/ V 、!__ハ ,' ,ゝ この地域の、特にキエフ市以西にはロシア語住民が少なかった。
`! !/レi' (ヒ_] ヒ_ン レ'i ノ 地域人口の5%もいないロシア人なのに、ロシア語の識字率ときたら10~20%しかない。
,' ノ !'" )―‐、 " i .レ' すると地方行政の大部分を、ポーランド人に担当させるしか無かったんだ。
( ,ハ 人!
,.ヘ,)、 )>,、 _____, ,.イ ハ ..19世紀になっても、ウクライナは結局ポーランドの外地なんだ。
( )',.イ ヽ、__ノ 「ヽ.レ'ヽノ だからこそ、ロシア帝国は、この地でロシア化を推し進めなければならなかった。
ノヽ/ ';::ヽ、/iヽノ::i Y
ri !:::::::`ー┘:::! i ウクライナ人ではなく同胞たるロシア人だとする事で
./ヽー-,イ:::::::::::::::::::::!ンi ポーランド系の地主たちから、ウクライナ農民を守ろうとした訳だ。
.
__ _____ ______
,´ _,, '-´ ̄ ̄`-ゝ 、_ イ、
'r ´ ヽ、ン、
,'==iゝ、イ人レ/_ル==', i
i イi rr=-, r=;ァ ヽイ i | あれ、ロシア同化政策は、
レリイ"  ̄  ̄ " .| .|、i .||
ε彡 !Y! 'ー=‐' 「 !ノ i | この地域のウクライナ人支配を強化する為に行われていたのでは?
L.',. '――' L」 ノ| .|
| ||ヽ、 ,イ| ||イ| /
レ ル` ー--─ ´ルレ レ´
, --=: :´ ̄: : : .、
,. :´: /: : :⌒\: : : `ヽ、
/: : :/: :,: : : : : : 、: : : : : : : ヽ
/: : : : :': :/: : : : : : : ∨: : : :、: : :\
' : : /: : |: |: : : : : |: }:|: VI: : : : : : : 、ー
' : : : |: :|: |: |: : : : :リ,\:-:、|: : : |: : : 、:\
/: : {:|: |: :|_:|_:|:| : : /∧: }\:|: : : |: : : :、⌒ それはそうだね。
{:イ: :l:|: |´从{_从: :/| ,ィチ笊ミ: : : |、: : : |\
∨:{:∧l´ イ笊∨ {、 vツ |: : : | }:|: :ル そういう面もある。
V|: :从:. ゞ' ノ 乂 ,|: : : |'从/
从: : :|∧- ´ ' ` ̄ l: : 从}:/
V: |: 込、 ー ' イ: / }/'
V:|`} }:≧=r- ´ |:/_ /
, \--=<,ノ| / /'|_ \_
/| |:| /-、 _/ >、_
,'ニ| |:| /--- 、´/ /:/ィニ、
/二| |:| , --、 / /://ニニ}
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! _!__i |_| |_|┐ ┌| |
|_.| | [_|:::| l:::|_] |_.| i .! .| ・・・・・あるんかいっっ!!
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...|._ └i::::::::| . ゙ー| | |
. |十i._  ̄~ _iー| | | ,,|
. |..|..|_|────┘ |__|_|_|_|
. , ==ー- 、
. ,r'三三三=\
. <_=三/´ ̄`ヽ,\ /´ ̄`ヽ
}三{ 1 ̄j }
. 丨三L.__,,,ィェz'二壬三ニッz',,_
. _, -'=ニ'≠≦て乙ん゙ん芯マ2z三ニ≧、
∠二三z.ん'~'^,イ ∧ Λ `マ三≡) だから定義しづらいんだよ、ウクライナ史は。
`¬≡ん' / /__{/_, } /、_},ハ、 j,)゙彡'
. { ゝ'i rt;;テ レ' t;;テ、У) ウクライナ正教会の司祭であっても、ポーランド語の影響下にあったし
|(} ハ''' ,__, '''|メ)
,/ / 丿 丶_ン′ }[I]コ ロシア化が進めば、ロシア貴族の支配も強化されるのは事実だからな。
( ( ゝ、 ,イlN
ゝ_jレヘ,ノ)_)リ≧=‐-- --‐''´jリjr'
.
_,,........,,_
-''":::::::::::::::`''\
ヽ:::::::::::::::::::::::::::::::\
|::::::;ノ´ ̄\:::::::::::\_,. -‐ァ .1918年までオーストリア帝国領であったガリツィア(東部)地方は、この状況がもっと酷かった。
|::::ノ ヽ、ヽr-r'"´ (.__
_,.!イ_ _,.ヘーァ'二ハ二ヽ、へ,_7 1910年の時点で、この地方の人口は530万。
::::::rー''7コ-‐'"´ ; ', `ヽ/`7 しかしこの内、ポーランド人の割合は30%を占め、ルーシ(ウクライナ)人は60%
r-'ァ'"´/ /! ハ ハ ! iヾ_ノ そして商業資本は、ほぼ完全にユダヤ人(10%)が独占していた。
!イ´ ,' | / .!/ ┃V┃、!__ハ─丶
`! !/レi' ●
/::: ヽ | ここで重要な事は、元々この地域のポーランド人は
:::::::::: |,ハ ,, / そんなに多い筈が無い、という事だ。
::::::::::::::| )\______/
,,, -ニ三三三三ニ / \
,,;;;'''ニ二三三三二ニー ヽ , ヽ- ' ヽ
, ', -=ニニ三三三三ニニ/=ニニ二ヽ, ヽ---――-ヘ
イ '´ ,r'三三三ニニ/ 三/ 、 ヽ ヘニ ヽ ヘ ..ガリツィア地方の知識人は、ほぼ100%ポーランド語を話す。
//三三三ニ/ 三/ ハ i }三 ヘ ヽ ヽ
,ィ'三/三ニニ/三ニ{ ,' V | 斗t‐ニヘ ヘ ヽ ヾ\__ .するとこの地域のウクライナ(ルーシ)人が、志を抱いて都市に出ると
,ィ三,ィ'三三ニニ,'三三ハ | ! '丁ノ \ニ ヘニ ヘ ヾ ̄ そこからポーランド化していくのだ。
,'ニ//三/ニニiニァ'厂'弋 i ゝ ,zモ示了、! ハニ | ト ゝ
レ' ./三,イ三三lノ l,ィ≠z>{ Vfzjソ ! !ニ !ヘヘ だから都市部では、ウクライナ人口は、ポーランド人の三分の一も無かった。
lニ,イ/三三ニ\ll Vfzjハ  ̄ | ,'三 ハ |ヾ
レ' l三ハ三三ヘ ` ー'" 、 ノノニニ! レリ この時期のウクライナ語はまだ未発達なのに対して
レ' V三三ヘ _ /三ニハ ! ポーランド語は長い歴史を持ち、高度に洗練された文法と語彙を持ち
_」三三ニ丶、 /i三三/ .リ 都市住民にとって使い勝手のよい「ハイソな」言語であったからね。
| `丶 > 、 __ , < {ニ三/
| \三ヘ , - ' ´ ̄ ̄ ̄\
/ ̄ ̄ ̄ ̄` ' ー- 、 \〉 , - '´ ,,ィニニニニニニニニヘ 結果として誕生するのは『生まれはルーシで、市民としてはポーランド』
iニニニニニニニニニニニへ ` v' ,, ィ''" ヘ .という人種であり
V ` ー 、====<´ ヘ
,-V ヘ _ V , ---------ヘ 彼らは年を追うごとに、ポーランド人として立身していく。
{ V------------、 「ヽ V l `V , -‐' ´ ヘ
__ _____ ______
,´ _,, '-´ ̄ ̄`-ゝ 、_ イ、
'r ´ ヽ、ン、
,'==─- -─==', i
i イ iゝ、イ人レ/_ルヽイ i | 英米の植民地でよく見たやぁ―――つぅ――――・・・・・
レリイi ・ ・ .| .|、i .||
!Y! ⊂ 「 !ノ i |
L.',. L」 ノ| .|
| ||ヽ 、¬ ,イ| ||イ| /
レ ル` ー--─ ´ルレ レ´
.
':, \':, \: : ! \:.:ヽ:.:.|:.:.:.i:.:.:.: ト、:.:.:i: !:.:.:.: : i:.:.|:.:.:.Ⅳ
\ \ > \i:.:.|:.:.:.|:.:: : l ',:.:|、:',:.: : : |:.:.|:.i: !
ヽ !:.:.!:.:. |:.: : :l i:.l ',:.',:.:. :.|:.:.|: ! | 民族対立は、同時に宗教対立でもあった。
i`:..、 |:. ii:.:.:|:.:.:.:.l. !:l Ⅵ:.:.: |、:.!ハ|
|: ハ: ー、‐ |:.:l l:.:.|:.:.:.:.! || ヽ:.:| Ⅵ :! この地域のウクライナ人はユニエイト(東方典礼カトリック教会)で
!:{ ヽ:. `:. l:.l l: |:.:.:./ ! ヽ! >――‐ ..ポーランド人はローマ・カトリックだ。
ヽ! :.:. ∧ ll ´|:.:!:.:〈 , . : :´.: : : : : :
\ i:. i `´ ! . |:.:.: ハ . : : : : : : : : : : : : そしてこの時期は、ユニエイト教会の領域が、
l:.l !:.:/ i /: : : : : : : : : : : : : : 次々とカトリックに浸食されていった時代だった。
ll |:/ !/: : : : : : : : : : : : : : : :
! |' /: : : : : : : : : : : : : : : : : : 18世紀末には、ルーシ人の為に設立された筈のユニエイト教会でさえ
_ /: : : : : : : : : : : : : :-=≦三 ルーシ(ウクライナ)語を捨ててポーランド化してしまった。
/:i:i:i:>': : : : : : : : : : ..z≦三三三三
∧i:i:iⅩ : : : : : : : ィ≦/三三三三三
∧i:iⅩ: : : : : : :/三/三三三三三三 なればこそ、「モスクワ側につこう!」(モスカロフィル)という運動は
∧i:Ⅹ: : :. :.:.:./三 :/三三三三三三三 ガリツィア地方のルーシ人にとっては、魅力的なスローガンだったのである。
|i:Ⅹ: : : : : /三三/:三:三:三三三三三 そしてこの全てからユダヤ人は嫌われていた。
Ⅳ: : : : :/ニ三三/三三三三三三三三
. , ==ー- 、
. ,r'三三三=\
. <_=三/´ ̄`ヽ,\ /´ ̄`ヽ
}三{ 1 ̄j }
. 丨三L.__,,,ィェz'二壬三ニッz',,_
. _, -'=ニ'≠≦て乙ん゙ん芯マ2z三ニ≧、 特徴的なのが、第一次世界大戦時に、
∠二三z.ん'~'^,イ ∧ Λ `マ三≡) ロシア帝国軍がガリツィア地方に進軍した時の様子だ。
`¬≡ん' / /__{/_, } /、_},ハ、 j,)゙彡'
. { ゝ'i (◯) レ' (◯)У) この時、ルーシの人々は〝同胞″を歓迎しているんだ。
|(} ハ'''ij '''|メ) そしてロシア皇帝に対して
,/ / 丿 〔 ̄ ̄l }[I]コ 「このガリツィアの地をどうか正教会の地にして頂きたい」と要請し
( ( ゝ、  ̄ ,イlN 実際に多くの人々が進んでロシア化していった。
ゝ_jレヘ,ノ)_)リ≧=‐-- --‐''´jリjr'
__ _____ ______
,´ _,, '-´ ̄ ̄`-ゝ 、_ イ、
'r ´ ヽ、ン、
,'==─- -─==', i つーか、1780年代のポーランド・リトアニア共和国では
___________ i イ iゝ、イ人レ/_ルヽイ i |
| | | レリイi (ヒ_] ヒ_ン ).| .|、i .|| 社会にとって不要と判断されたユダヤ人は、
| | | !Y!"" ,___, "" 「 !ノ i |
| | | L.',. ヽ _ン U L」 ノ| .| 「その場で射殺されたという話もある」ってのが怖いんすけど。
| | | | ||ヽ、 ,イ| ||イ| /
|___________|_| ..レ ル` ー--─ ´ルレ レ´
_|__|_|_ l二二二二二二二二l
.
_ - - ── - --- 、イヽ__
/::::::::::_<`>─z ヽ::\ ハ::::::ヽー- 、
{::::::::::::へノ/`ヽハ、 ̄::::::::ヽ|-、^ニ\|
ヽ::::::::乙/ | |⌒'iーレ:::ヽ}´ / この話は、ここからさらに混乱する。
ヽく_/ / ヽ .ト、人 |^ラ:::ヽ f
/イ |>、ヽ |斗ヒ| | トフ:::::ヽ なぜならばこれと同時期に「ウクライナ民族主義」が勃興し
. ー个、|弋ノ ヽノ弋ソ /ソ|ハ乙{::::ヽ キエフ市の同胞と手を取り合おう、という思想も生まれているからだ。
レ| ゝ ー ' イ 人 トヽ::::::::::}
|i i|ノフi三/イ ヽハ ̄´~゛" 「ルーシではなくウクライナ人である」
. |>くソく ノ::::::::::レー ゝ-ァ_ 「我々はロシアでもないしポーランドでもない」
´‐` ノ、:::::::::::゚。¬´ヽ/ ヽ、 ということを唱える人々だ。
оニニラ `ー--イ ヽ ヽーヘ
/z_ ー´ 〃`~/ } しかしロシア軍が来ると彼らの居場所は無くなり
く::::~~~~~゙"´/ ノ ウィーン市まで避難している。
7==ィ==「`7< ィ´
ヒン´ 七ソ  ̄´
___ _____ ______.
ネ _,, '-´ ̄ ̄`-ゝ、_''.
、ン 'r ´ ヽ、
i ,'==─- -_==',.
| i./イル_ _ノイ人レ 〃、_ヾイ i. でも現ウクライナ領から西に出ると
||. i、|. | . 0 || (_) ||イリj
| iヽ「 ! "" 厂|ヾ、_ _〃Y!. 未だに〝我々はウクライナでは無く、独立したルーシ民族である″ていう人々が居るってのが
.| |ヽ L」 /_| l||ノ「! (ラテン語でルテニア)
ヽ |イ|| |ヽ、 ,イ(⌒ヽ
レ レル. `.ー--一 ´ルヘ ヽ 歴史の面白さよねぇ。
※ただし、ウクライナ政府は
彼らの独立性を完全に否定しています。
: : : : : : : : : : :. :. :. :. :.i: : : :.\
: :. :.i: : : i:|: : : : : : : : :ト : : : ト \
i : : :. :.|: : : !: i: : : : : : : :小:.:.i:.| ` ヽ 結局のところ、このウクライナ民族主義者が最も敵視していたのは
| :. : :i: :ハ: : :. :.!: : : : : :./: :| | :|:.|
| :. :.: :.:レ′: : : : : : : : :x.:.: :.:|:.! l! | ..「ポーランド化したルーシ」である。
! : : イ : : : : : /: : : :γ 〈:i: i/ : ハ|
i : :/ |/: : : : /: : :./ |i 八 l: :/ }
∧ ∨ ヽ./ : !: : : : : : : イヘ代_从:.:ル′ .地主やインテリたちも、「ポーランド市民」としてウクライナ人と敵対している。
ヽト、:i }' : : : : : : : / 小: :ハ
} ハヽ : : : : :i〃 イ: |:Ⅳ これは同時に都市と農村の対立であり、この状態でオーストリア帝国は斃れた。
八 ハ:.:.从{ .: ´ }从|
. x‐}∧{ }'___{二 }
/:. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. 乂 .1918年から、この両者は猛烈な殺し合いを始めるのである。
/: : : : :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :>
:. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :.:>
:. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. /::/:.≧x
.
__ _____ ______
,´ _,, '-´ ̄ ̄`-ゝ 、_ イ、
'r ´ ヽ、ン、
,'==─- -─==', i これさあ、もうあれじゃん。
i イ i ノ イ人レ \ルヽイ i |
レリイi (ヒ_] ヒ_ン ).| .|、i .|| 北アフリカのアルジェリア独立戦争(1954~1962)と同じじゃん。
!Y!"" ,-‐、 ""「 !ノ i |
L.',. `⌒´ L」 ノ| .|
| ||ヽ、 ,イ| ||イ| /
レ ル` ー--─ ´ルレ レ´
,. :-:.' ー ' ¨ :.ゝ.、
,.:´: : : : : : : : : : : : : ヽ.
,.': : : : : : : : : : : ',: : : : : : ヽ、
,':.:;':.:.:;'.:.:.;'.:./.:;'.:.:|i:';:.:.:.:.:.:.::`、`ゝ
,':.:.i:.:.:.i:.:/i:.:/i:.:ハ:.:l:i:.:.i:.:i:.:.:.';.:.:', 民族と言語、社会の支配構造という面でみれば
/イハ:!:.:.:l:/ i/ ノノ ノリリハリ:!:i:.:.!:.l
i/!:.:!:.:.;;;;;;;;;;;;;;;; ;;;;;;;;;;;;;;l:.!:ハ! かなり似通っているね。
∨|:.:.! ノ/i/ノ
ヘ!:| ノ!/′ ただ、アルジェリアにおいては、ヨーロッパ人であれば、
ヾ!>ー- -- <イリ
(ヘ:::::\i=//:::::/) ユダヤでもフランス市民権が与えられていた、という点が違う。
{;;\::::::!n/:::::/;/
ト、;;\;;ii;;/;;;;イ ポーランド人は、ユダヤの事を同胞だとは絶対に認めなかった。
/;;;;ゝ;;;;∨;;;;;;ノ;ゝ、
(;;;;;(⌒)∨/(⌒);;;;)
`´ ̄` ̄ ̄´ ̄´
_,,....,,_
-''":::::::::::::`'\
ヽ::::::::::::::::::::::::::::\
|::::::;ノ´ ̄\:::::::::::\_,. -‐ァ
|::::ノ ヽ、ヽr-r'"´ (.__
_,.!イ_ _,.ヘーァ'二ハ二ヽ、へ,_7 そして地主系民族と小作人系民族の対立に苦しむ
::::::rー''7コ-‐'"´ ; ', `ヽ/`7
r-'ァ'"´/ /! ハ ハ ! iヾ_ノ 東ヨーロッパの人々の前に現れたのが
!イ´ ,' | /__,.!/ V 、!__ハ ,' ,ゝ
`! !/レi' ||llii.. ̄lニ「||llii...ノレ'i ノ 土地の共有化、つまり分配を唱える共産主義だ。
,' ノ !u `'ー‐' `ー‐' i .レ'|
( ,ハ u 'ー=-' 人!
,.ヘ,)、 )>,、 _____, ,.イ
.
..--- __
/: : : : : : : : : `ヽ
/: : : : : : : : : : : : : ∧
厶イ: : : : : : : : : : : : : :∧
|: : : |: : : : : : : : : : : :ハ
И: :.|: : : : : : : : : : : :ト:〉 20世紀に入り、ユニエイト教会は改めて
l: :∧: :i: : : : : :.l:.|: :|
∨ ∨ヽ:ト、: :∧ト、j リビウ市を中心とする『西部ウクライナ人』の民族宗教と化した。
/=x Ⅳ.∧
{─xヾ:.、 ∧_ それ故に、それ以外のウクライナ市民
|:::::::ヘ ゙===:/
|:::::::::::ゝ──‐ォ .つまりキエフ市・ドンバス地方・オデッサ港・クリミア半島の
_ |:::::::::::::::::::::::::/::::|
|:.:.:.\_ / ̄l:::::::::::::::|::::::::|::::::| 東方正教会の信徒たちとの空隙が生まれていた。
|:.:.:.:./ ̄ ̄i ̄ ̄ ̄:「 l:::::::::::::::|::::::::ト:::::|
`ーゝ──‐ ───:| f::::::::::::::::!::::::::! Ⅵ この状態で、ソ連崩壊を迎えるのだ。
\ ゝ:_:_:_:_:j:_:_彡 リ:!
「 }----{ ∠ノ キエフ市以東の人々からすれば、
\ゝ __ノ /
` r─彡 西部人たちの猛烈な反露民族主義は、なにやら異邦人のようであった。
| |
| |
|__j
| |
_,,....,,_
-''":::::::::::::`''\
ヽ:::::::::::::::::::::::::::::\
|::::::;ノ´ ̄\:::::::::::\_,. -‐ァ
|::::ノ ヽ、ヽr-r'"´ (.__
_,.!イ_ _,.ヘーァ'二ハ二ヽ、へ,_7
::::::rー''7コ-‐'"´ ; ', `ヽ/`7 この温度差の起源は単純だ。
r-'ァ'"´/ /! ハ ハ ! iヾ_7
!イ´ ,' | /__,.!/ V 、!__ハ ,' ,ゝ ガリツィア地方が明確にウクライナ入りするのは、スターリン時代に入ってからで
`! !/レi' ○ ○ レ'i ノ
,' ノ !'" "' i .レ' つまり西部ウクライナ人からすれば『 モスクワのツァーリ = スターリン 』だ。
( ,ハ (__人__) 人!
,.ヘ,)、 )>,、 _____, ,.イ ハ そしてスターリンはこのユニエイト教会を徹底的に弾圧した。
__ _____ ______
,´ _,, '-´ ̄ ̄`-ゝ 、_ イ、
'r ´ ヽ、ン、
,'==iゝ、イ人レ/_ル==', i
i イi ===| |=== ヽイ i |
レリイ"" "" .| .|、i .|| ああ、それはまあ、認められんわな。
!Y! wwノ 「 !ノ i |
L.',. L」 ノ| .|
| ||ヽ、 ,イ| ||イ| /
レ ル` ー--─ ´ルレ レ
.
, . /: ィ彡:=:-: : : : : : : : : : : `: ..
,.. :´: : : : : : ヾミ: -: : : : : : : : : : : : : : :ヽ、
,.': : : : : : : : : : : : : : : : : 、: : : : : : : : : : : ヽ\
,.: : : /: : : : : : : : :/: : : : : ヽ: : : : : : : : \ :\\
,: : /: : : : : : : :〃: : : : : : : : : : : : :ヽ:\ : : \ハ キエフ市やドネツク・ルガンスク・ハリコフなどの東部地方
,: : : ;: : : : : : : : /: : : : : : : : : : : : :ト、: : : :.',: : : : ヾ}
i: : : : : : :/ : : :/: : : : : : : /|: : : :: :ハハ:: i: : : : : : : y そしてクリミア半島やオデッサ港に住まう人々からすれば
|: : : : : :;': : : : i: : : : : : :./.ノ: :,ィ: : iム_从!: : : : : : : i
八: : : : i: : : : :.|: : : : :.∠/: :/ j: :./ ,__ハ: : :i: : : : ! 〝ツァーリ″とは別に『スターリン』だけでは無いという事をよく知っている。
∨: :_j: : : : :.|: : :ィ/_//_ // ,ィf笊ミ}: :/: : : :.,’
Ⅵ 小rイ: : !: /イf示笊ミ./ r'f::j ,':/: : : i: : .ピョートル大帝やエカチェリーナ2世、アレクサンデル1世の歴史を
ハ{ 从::i: :.:Ⅳ ヾ{イf::j:リ `''/7!: : :ノ:/
}ト、._∧: :トミ、 ゞー''_,. '-‐''"´y' /イ:.:/ ..肌で知っている。
}:.ハ: :ヾ:.、 , '´ __,,,/ / /: :/イ
/^}レ:ヘ.:.: / '"´ , '´/:.:/ しかしガリツィア(ハーリチナ)地方のウクライナ人は、そんなものを知らない。
,.:.:.:.:.i{ \| /
/:.:.:.:.:.:..ヽ | /\
. ∠.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:..∧ | /l::||:::.
. /:::::::\:.:.:.:.:.:.:.:.:.∧ | |:.|::||:::::| \
/⌒ヽ\::::\:.:.:.:.:.:.:.:.∧| |:.|::||:::/ ヽ
_ ,,....,, _
/:::::::::::::::::::: " ' :; ,,,
/:::::::::::::::::::::::::::::::::/"
r‐- .,_/::::::::::::; / ̄ヽ;:::::::|
__.) `''ァ-ァ'"´, ' ヽ:::| この辺り、変な言い方になるが
ゝ_, '"ソ二ハ二`ゝ- ヘ 、_ _ ゞ!._
、'"ヽ, '´ ,' ; `"''‐-=ブ、_,:::::"'''- ,, ハーリチナ地方の反露民族主義とは、モスクワ政権
ヽ_/i. /! ハ ハ ! ヽ ヽ 丶'ァ' '" 特にスターリンに依存している。
<、 ',./__,.!/ V 、!__,ハ、 ヽ`、`; ,!i;
、iV ( ヒ_] ,____, ヒ_ン ) レ ! ; イ ) 〝ロシア″というクニには、未来永劫悪役になってもらう必要があるんだ。
V i "" ヽ _ン "" !ヽ (
i,.ノヽ ,ノ ) 、`、 「ロシアもプーチンも、別に普通の国の普通の政治家じゃねーか」
ノハ `" ーー ---- ── "´( ( '` .) ) という結論が出てしまうと、コイツ等の政治的な価値は消滅する。
.
_____
,. . : :´:, :-: : --: 、__:> .
/: : : :/: : : : : : : : ヽ: : : : :`ヽ、
ー,:-´- ': : : : : ,: : : : : : : : : : : : : : : : : :ヽ
/:,: : : : : : : : /: :, : : : : : : : : : : : : : : : : : '.
/イ: : : : : : : /:,:|: /: : : : : :|: : :V: : : : : : : : :、'.
/: ': : /:__/:/_l/: : : : : :/{: : : {: :|: : : : :|: :、: :'.ー 20世紀前半期の東ヨーロッパは、
|: |: :/: :,: :/:/ |: : : :|: :/ ミ:ト、l: :|: : : : :|: : :.、: '. ジェノサイドの起こる種々の条件を完全に備えていた。
|: ,: :|: :.|:∧:{ {: : : :}:/ \`:ー: : : : :|:\'.:\〉
|/: ∧: |ィr≠=ミ、: :/', -----、\|: : : : :|: : :\| 民族も国家も不定形で、ひとりの人間が
|:|:从:| Vこソ V^{ イ≧=-、 |: : : : , : :|: : :| 一生の間に何度も民族・国民意識を変革していった。
|:| : 乂 , , , , (ノ {) Vこソノ,|: : : /V从∧|
/ | : : { ` ' 乂 , , , , ノ, : : / ノ : : | \ 例を挙げると
从: 人 /: : /イ: ∧: | 「生まれた時はポーランド人、長じてはベラルーシ人、最後は共産主義者」
V: |:\ ¨ ヽ /: : ∧:|:/ \ ..「ラトビア人だけれそも、レーニンの思想に共感してラトビア独立運動と敵対した」
V:|: | 、 イ/: / }'j' .「ハプスブルク家の王族だけれども、ウクライナ民族主義者として死んだ」
\:| ` T¨¨ /イ_ という人間が無数に居た。
\ _'. \\
</} ヽ ヽ
< /-、 ,  ̄ \ つまり、民族ごとに住み分けるというのは、不可能だった。
r 「 /⌒\ r-- / \
/|:/ ,  ̄\\ / ___∧
,ニ{/ /  ̄\ / , <≧=---∧
/ニ{' / / //ニニニニニ∧
.
i l : i l ',::.. ',:::ヽl:::::::',:::::::::l
:i .:l .:l. :: l:: ',;. l:::::: ',:::::l::::::: ',:::::::l
::l ::l :::l ::l l',: l ', l,::::, -‐l:::::l::::::::::',::::::',
::l. ::l :/l ::::l. l. ',:l il/:::::: :l:::::l:::::::::::i::,,:::i
. i :::_. -‐-- Z__l. -:':/l/. 'l ´ll. 〉:::::::l::::l、:::::::::l/.',::l それでいて民族同士の憎悪は天井知らずに積み上がり
. l ´:l ::/i ,' _l :::/ l l _.. =',= 、::::i::',::::::::l ',l
..l i::::::l ::l. ll __l::/ | /rヽ i ,l ',/:: ',::::::l l 地域全体で人口が飽和状態となり
/l l::::::l :l.=l.r~ヾ~/`ヽ. ./ i_;j ./ ,l l::::_ ',:::ll
.:::l l::::::i l l ;; l. l .L =l ― ´ .,' /:( `ー‐- 、 銃火器の性能は飛躍的に向上して人殺しの作業は極端に効率化され
. ::l :::::::i ,l 、 `='‐ ' i '., .i/;::;_ ー 、. ',
::',. :::/ i ./ ', / i `ー‐ ¨i::::::l_  ̄ヾ 、 ', ..帝国の崩壊によって旧来の権威が次々と没落してストッパーが居なくなり
l >´ /´ ./_.,..,' , ':::r- 、`ヽ. ヾ l
.l l i / ,.' i .l r一'ヽ , ' i/.ヽ._ ヽヽ. ', l .そこに共産主義が到来するのである。
..' ,.l l/ ,'、 .i l. ` ¨´ / l::/丶 ヽl i. l
l i l `,' .l_./ヽ/ l/ l. l i. l
l l l.. ,' l i l'., 」 ', .j
. l .l l ,' ,' .,' .l. ' , l /
ヽ. l .l l ,' ,' .,' l ', /' /:l
::::ヽl ' '' i / ,' /i. ,.' ,.'::::::丶
,::::::',ヽ ll ,'._/ ,.l ,l , ':::::::::::::::l
.',::::::',. ', l _/ l. /::l /:::::::::::::::::::l
____ ,,-- 、___
廴 -‐''´ ̄ ̄ ̄```ミく 汲
. 廴γ´ ヽ. 乃'
弋/==ー- -‐==彡, ,x仍
. { // \レハノ/ Vv、 i´ `> これは凄い・・・・
Viyイ o o } ィ'゙ヽ レイ
「 ! ''' ,__, ''' ГI_,,ノ | | もうアフリカなんて眼じゃないな。
|{ ヽ_ン′ | | j 亅
. .l__ト、 ,|__j Ν j
}レjり≧=‐-- --‐''´,}レj;ΝWiノ
/:::::::::::::::::::: " ' :; ,,,
/:::::::::::::::::::::::::::::::::/"
r‐- .,_/::::::::::::; / ̄ヽ;:::::::|
__.) `''ァ-ァ'"´, ' ヽ:::| 五胡十六国時代に機関銃が持ち込まれたら
ゝ_, '"ソ二ハ二`ゝ- ヘ 、_ _ ゞ!._:
、'"ヽ, '´ ,' ; `"''‐-=ブ、_,:::::"'''- ,,... 多分、こんな感じになるな。
ヽ_/i. /! ハ ハ ! ヽ ヽ 丶'ァ' '"
<、 ',. /__,.!/ V 、!__,ハ、 |`、`; ,!i; ぶっちゃけ、未来のアフリカもいずれこ~なるんじゃ~ぁないかと思う訳だよ。
ヽ iV (ヒ_] ヒ_ン ) レ !; イ )
V i'" ,___, "' '! ヽ ( なってほしくは無いんだけどなぁ~~~~?
i,.人. ヽ _ン ,.ハ ) 、 `、
ノハ > ,、 ._____,. ,,. イ;( ( '` .) )
.
,. ´ ̄ ̄ ̄` 、_
/ / \
/ / / ヽ ヽ
/ / / / / ヽ ヽ 、 '. ハ
/ / / / /ト、 i | i i | !
/,イi | ! | ! ヽ \ ト、 | i ! ! \ ガリツィア地方を、赤軍から分捕ったポーランド第二共和国でも、これは変わらなかった。
〃 || 「「><ヽ|\| \!_>v1ハイ ト-ヽ
/ !ト、ト、! ̄ ̄`ヽ f'〃 fr示 ! i ! 救国の大将軍、ユゼフ・ピウスツキの武威によって成立した国家だが
〃トr 斗 // |-、 ! r' ,イ rY 从 しかし創建時からこの国家は歪つな状態であった。
/ レヘ|ヽ __,.ノ ; ヽ __ ̄_ jイノ〃
V ト、 _ 乂 /レ' この国の人口はおよそ3000万。
ヽ! > _ _,. イ!/ / .そのうち、ポーランド人は2000万人だ。
ヽレ'´ j 「メ、
_,. ':.:.:.:.:r- 、 -‐〉:.:.:.ヽ 500万がウクライナ(ルーシ)人、300万がユダヤ人、200万がベラルーシ人
r'「!:.:.:.:.:.:.:.:.:.L- ―--!:.:.:.:.:.:.:.\
∧:.!:!:.:.:.:.:.:.:.:.ヒ二二ニ」:.:.:.:.:.:.:.:.//>、 この他にドイツ人が80万でロシア人が14万。
| :.!|:.:.:.:.:.:.:.:| !:.:.:.:.:.:.:/// ヽ 後はリトアニア人とかチェコ人などが、箸にも棒にも掛からぬ程度に住んでいる。
|__∧ !:.:.:.:.:.:.:.| ,':.:.:.:.:.///  ̄ |
| ∧ヽ:.:.:.:.:.:! /:.:.:.:.:///´ |
| / ヽヽ:.:.:.:.:!rrfヽ/:.:.:.:.:/// | そして人口の65%を占めるポーランド人と、
| ト、\:.:.:レリし1:.:/:/ ! 他民族との仲が、とにかく悪かった。
/ | 〉、\| /:./:.,.イ │
/ ! i| \ ! /// | / |
〈 へ ! トVイ / | / |
〈 / _ヽ\ レ升! // ̄フ ! ※この時の調査では、使用言語を基準に民族を定義しているが
V / | | 1〈 / /〈 ̄ ̄ / この手法はソ連方式に近い。
V ! レ ! | </ \ヽ 〉
ハ \| レ' ヽ /
/ | ヽ| r' ,. イ
_,,........,,_
-''":::::::::::::::`''\
ヽ:::::::::::::::::::::::::::::::\
|::::::;ノ´ ̄\:::::::::::\_,. -‐ァ
|::::ノ ヽ、ヽr-r'"´ (.__
_,.!イ_ _,.ヘーァ'二ハ二ヽ、へ,_7 赤軍との戦争が終わったのは1921年だ。
::::::rー''7コ-'/__,.!/ V 、!__`ヽ/`7
r-'ァ'"´/ (ヒ_] ヒ_ン iヾ_ノ だが政治的な内紛劇に嫌気が差したピウスツキ大将軍は隠棲する。
!イ´ ,' |'" ,___, "',' ,ゝ それで、少数民族の票を集めてナルトヴィチという男が大統領選挙に勝利した。
`! !/レi レ'i ノ
,' ノ ! i .レ'
( ,ハ 人! ..ところがこの男だが、就任して五日後に暗殺される。
,.ヘ,)、 )>,、 _____, ,.イ ハ ...理由は「ユダヤの票で当選したから」
__ _____ ______
,´ _,, '-´ ̄ ̄`-ゝ 、_ イ、
_'r ´ ヽ、ン、
,'==─- -─==', i
i イ iゝ、イ人レ/_ルヽイ i |
レリイi .r=ァ | .|、i .| なんてヒトラー的な理由なんだ・・・・・
!Y! r=- 「 !ノ i |
L.',. ー=‐' L」 ノ|.|
| ||ヽ、 ,イ| |イ/
レ ル` ー---─ ´ルレ レ´
.
/⌒\
(;;;______,,,)
, -──-ノ !
/ (__,,,丿
/____ ________ ヽ、 ┌_、 このポーランド第二共和国の民族政策というのは、一見すれば結構なものなんだ。
_,,,r=..)_ __Y´___ _〈===ゝ、 // :\
<,,,__、イ_ノuヽ、__ゝ__,,> // : : : \ 1924年には全ての民族に文化自治が認められ
`ンレ'ノ-_ヽイヽ7__-レゝ~ゝ.~i~´ // \: : : :ハ ..その上で全住民に平等なる投票権を与えていた。
) .i〈ヒ.i._ ヒ_ンアi ルゝ 〈 //ト 、 \: : :l
.ノイ人" ヽソ "",イ イ ノ 〉//' \ l: : | 同時期のスターリンの主導した民族政策に比べれば
〈r'〈y.`',_--- 、'´イノル,,r7./ | |: :/ まことに文明的で公平な制度だというのに、これが破綻する。
'イ)rイL:_」/>〈ノ、 ..´// ノ /:./
[><] ⌒ 〈,Y__,,,)(⌒', / /: /
,ゝ〈,,,_,____,_,_,,', ヽヽ_ ノ / // 〝少数民族″たちは、この国家を祖国だとは認めず
/,〈イ ´ ̄` イ) ヽ,..//ノ _l l:l こんなものは「ポーランド人の帝国」じゃないかと思っていた。
'/イ} .ヒ) // \}
,く,,/.ヒ)、 イ} .//.ヽ, J 現リトアニアのヴィリニュス(市)大学は、東部少数民族向けに設定されていたのに
`ー-,ゝ'=、_r_イノ_.//,,イノ ...1938年時の学生民族(言語)分布を見れば、
`トーイ.´ `ト.//! ..ポーランド人は72.3%も居て、ベラルーシ人などは3%以下だった。
ー' `'-'´
,ィ
| .! , -―-、
> `´/ / /`ヽ、
// // /l l ∧ヽ、 ',
〈〈/ l.,'.! ! ヽ .! 、', .! ト、__
〉/l .!l/Vl/、 |ヽl、ヽ! |¨´
l/l/!',.!弋シ ヽ弋シ!,イ,'ゝ ガリツィア地方のウクライナ人たちも、完全にそれに同意しており
,、,、 V、ヘ _ ,イ /
',lヽ\_.,、________ ., -.r-、V`i. -イ/V 彼らは共和国議会の選挙を度々ボイコットした。
_ヘ` ,'::ヽ::::::::::::::::::::::::::::::::::::` ̄ ̄´:::/.,'/ .,'._- -y ̄\
. ゝ― ‐l::::∧:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::l:::::::| .!| r'´ `‐,' ., -\ ユダヤ人、ベラルーシ人、ドイツ人、そしてリトアニア人でさえ
 ̄`ー'´ ̄`ー―--、::::::::::::ヽ:/', !l .! / /, -'´::ヽ
 ̄``ヽ、!:::', ', ! / .//::::::/::::::| こんな国を祖国だとは思わなかったし
|::::ヘ ',', ///:::l//::::::::|
,'::::/!\/,イ ',:::::::!:::::::::::::::! ポーランド人を同胞だとは認めなかった。
/:::/::| .〉O<ニ二!::::',:::::::::::::|
/:::/:::::!//!| `> ',::::::ヘ:::::::::::〉
/:::/:::::/ / .!',\! ',:::::::l::::::::∧
.
___
....:.:´:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:`.:.:.:...
....:.:´:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.: :、:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.`
/:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:ヽ:.:.:.:.:.:.`:.、:.:.:.`:、
/.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:ヽ.:.:.:. :ハ:.:.:.:.:.:.:.:.:\:.:.:.ヽ
. /.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:..:.:.:.:.:.:ハ: :ハ:.:.:.',:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:ヽ:.:.:ヘ
/:.:.:.:..:.i:.:∧:.:.ヽ:.、:. :∨:.i:.:.:.i:.:.:.:i:.:.:.:.:.:.:.:.:.: :ハ:.:.:.:.\ ポーランド第二共和国の一番の欠点は
. /:./:.:.:.:.:.:.∨:.:.\:.ヘハ:.、ハ:.:|:.:.:.|:.:.:.:|:.:.:.:.:.:.:.:.:.: : :i:.:∨:{`ヽ
/.:イ:.:.:.:.:.:.:.:.:ヽ:.:.、:.`: i l!:ト:i :l:.:.:.|:.:.:.:l:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:. :!:.: :',:ヘ なんと言っても経済発展に失敗した事である。
./ ' l:.i:.:.:.:.:ヘ:.:.:.\`ーlハ! l:.:!:.:.:.l.:.:.:.!:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:./.:.: iハ`ヽ
/ |:.l:.!:.:.:iハ ー一ィr示㍉:ハ:.:/.:.:.γ、:.:.:.:.:.: : :/.:. :i.ト、:. 1928年、つまり世界恐慌の前年をピークにして
!;ヘト、:.ハ:.:ヽ 〃八ぅ::} }'i:.:/:.:.: :' ぅ}:.:.:.:.:.:,:./.:.i :ハ| `ヽ 工業と農業の発展が完全に停滞した。
. { !/.:イーハi ゞ' /;イ:./:. :'.:ソ.:.:∧/.:./}:′!
/ ' !: :! ノ /' /イ:.:.:.ハ.:.:.:.:.i :/}.:' この年の生産指標を100とするならば、世界大戦直前の1938年でさえ
/´ ; :/ `ヽ _ __ !:. :' l:.i:.:.:!/ ..工業生産高は106,農業生産高は50しか無かった。
. / /: ' ヽ !.イ ハ:l:.ハ!
/:' /ァ‐ ´ ! /' ハ _!:'_
/´ l.' .:´: : : : : : }
/ : : : : : : : :.:.人 _ そしてこれは、第一次大戦前のこの地域の産業水準から見れば、なお低かった。
x―./: : : : : : : : : : : .:.:.:.≧x...._...x≦: : :`: .、
/:.:/: :_.: : - ― - 、―: : : ´: : : __: : : : :.\
//. ´ ハ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄
/'/ ..:./ :. ハ
// :.′ :. .: }
/ :/ :.i :..: i
_,,....,,_
-''":::::::::::::`'':..、
ヽ:::::::::::::::::::::::::::丶
|::::::;ノ´ ̄\:::::::::::\_,. -‐ァ
|::::ノ ヽ、ヽr-r'"´ (.__
_,.!イ_ _,.ヘーァ'二ハ二ヽ、へ,_7
::::::rー''7コ-‐'"´ ; ', `ヽ/`7
r-'ァ'"´/ /! ハ ハ ! iヾ_ノ この国には、貧農が多い。
!イ´ ,' | /__,.!/ V 、!__ハ ,' ,ゝ
`! !/レi' (◯), 、(◯) レ'i ノ ..貧農とは、ほぼそのままウクライナ人かベラルーシ人の事だ。
,' ノ !'" ,rェェェ、 "' i .レ'
( ,ハ |,r-r-| 人! そして農業自体が非効率で、同時期の西ヨーロッパの半分以下の反収しか無かった。
,.ヘ,)、 )>,、 `ニニ´,.イ ハ
__ ____ _ ______
: ,´ _,, '-´ ̄ ̄`-ゝ 、_ イ、;
'r ´ ヽ、ン、
: ,'==─- -─==', i 農家に生まれても食っていけないし、受け継ぐ土地も無い。
i イ iゝ、イ人レ/_ルヽイ i | :
:レリイi (◯), 、(◯)::::| .|、i .||: 出稼ぎに行こうにも工業が無い。
!Y!"" ,rェェェ、 ".::::「 !ノ i | :
: L.',. |,r-r-| .::::L」 ノ| |: そしてポーランド語が話せないと大学にも行けない。
: | ||ヽ、 ,イ| ||イ| / :
: レ ル` ー--─ ´ルレ レ´ さ、最悪だ・・・・
.
,.: -――<: : ̄ ̄. : .:\
へ<_. : . . .: .: .: .: . .: . .: . .: . \
/. : .: ;/.: . : . : .: .: .: .: .: .: .: .: .: . 〉
\_ /. : .: .: /.: .: .;/.: .: . .: . .: . .: . .: . .:⌒ヽ この問題は、不景気の両輪を成している。
ー1/〉. :/. :/. : . :/ . :. . : .: . .: . .: . .: . .: . .: . : .
//.:/. :. .: .ハ :. .:/. .: . .〈. . .: . .: . .: .: . .: . .: . .: .:、 貧農が多すぎて、ポーランドの工業製品を買ってくれる顧客がいない。
〈. :.ィ7 : :/〉: .r=ミ!i : .:ィ. : :ヽ: . !. : . .: . .:〉. .: . .: . .:}
〉ヘ:|: ./. : : :|:pt八: . ト.、:.ノ: ./.: ,: .:!: ./ . .: . .: . ./ ポーランドの工業が発展しないと雇用が増やせない。
∨/ : : iЦリ \!rヘ(: .: . .: .: /../ . .: . .: . ./
/.:/.:Y lレヘ}/}: .: /. .: . .: . .: . ./ ..結果として猛烈な人余りの状態になり
レヘ::ハ '" lrくリ: }:/.: /: .: :/.: .!:.{ 1935年の時点で失業率が40%もあった。
} : \ 、 7.: .: .: :./⌒Y.: .: .:人{
}ハWヘ___/:. :. :. :.イ:. ..ノ/レ´ 人口3000万の国で、100万人以上の失業者が居たのだ。
/: ../)/}:人: ト、
/}/ У \
-―く::::< ヽ、 1億2000万の暮らす日本国の失業者が165万人しか居ないという数字から
/  ̄\ヽ:::ヽ }::! この事を鑑みて欲しい。
/ 、 }::::! }::!
〈 } }::::! }::!
, ----、
,/ i´
,/,--,__,---,`ヽ、
__,,,,-イ--イ_,/Yヽ__< Y─-,,,,_
`' -、イ~`~`~`~`~ノ-ゝ'´ 1921年の独立時において
イノレ-_ iルイ_-レイ .イ
レ iア[') (']アiY) i この国の産業の6割は農業だ。
イ.人" ー "人). ゝ
|ノYイ`' -, ,-イ(イレ,レ´ しかし農業人口の内、5ヘクタールも持てない貧乏たれが60%も居る。
´`,-Tゝ=イT Y)
/ イ ̄ヽゝ[><]ヽ, それでいて、農業人口の0.5%しかいない大地主(50ヘクタール以上)が
/ L_____|」,ヽ, ゝ
(`ゝ/,イ ̄~Y、ヽヽイノ 農地の47.3%を保有していた。
`,く__y、_,_,_,'イ___,ゝ,
`'--i-ト,--,ヽ__ゝ-´
,イ__rノ Lゝ'ヽ
__ ______ ____
,´ _,, '-´ ̄ ̄ ̄`-、._ `:
'r ´ q_
,'==─- -─==キ
i イ iノ\イ人Mル/_ルヽイ ___________ つーか、ポーランド第二共和国って
レリイi (_ヒ_] ヒ_ン_) iリルノ .| | | ..基本的に元ロシア領を中核としているから
| !Y!"" ""'!Y!| | | |
| L.」 O L」 | | | ..工業地帯ってのはワルシャワ市近辺しかねーじゃん。
| | ||.ヽ、 ノ|| .| | |
ルレ ル`ー----‐イル, .|_|___________| ..ウクライナ人もベラルーシ人も完全に除け者やんけ。
γ⌒ヽ lニニニニ _|_|__|_
.
...-―――-...
/.:.:.:./.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.\
/.:.:.:.:.:.:|.:.:.:.:.:!.:.i.:.:.:.:.:.:.:.
/.:/.:.:/.:.|i.:.:.:.:.!.:.|.:.:i.:.:.:.:.:.
〃/.:.:.:l.:.:从.:.:.:.ト、ト、ハ.:!.:.:.:!ニニヽ__ そしてこの国の北方(ダンツィヒ市)や西方(シュレジェン地方)に住み、
{{:!:|:.!.:.:|i/芹メ、::{_r芹刈.:.:.iト、 ///r 、 ..工業化の旗手となるはずだったドイツ人たちは
И:i.:.八'ヒヅ厂,ヽヒヅ/.:.:八/// i }. /)
i八{.:.込、 c ,仏ィ' /// 丿/ .//./) ヴェルサイユ条約(1919)などで、つまり敗戦のどさくさに紛れて
ノ { ヽ{从`ト イ/ //∧_ / {_/ / // ..無理矢理ポーランド入りさせられた人々が多く
/\ \ }` -/ ///:i:i:i/ 八 ゝ'/ これまたポーランド人との仲は険悪だった。
/i:i:i:i:ト、 ヽ' ̄ { //i:i:i:i/:i} ) ゝ、
/:i:i:i:i:i:∧:i:i\ \ |//:i:i:i:i:i∧i:iヽ v‐、\
r、(∨i/i_/:i:i:i:i:i:/ 1:i:i:i:i≧=彳≠=、、:i:, ゝ-'`ー=へ\ ー' 彼らはヒトラーの大軍団が来た時に、万歳三唱でこれを迎えたのである。
ヽヽ Y:i:i:i:i:i:i:>'" 人:i:i://7大ト===ミi:∧__ ー'
〉_ >一'" {:i:i:i∨(_//{ }:i:i:i:i:i:i:i} }<_
(/ /\:i:iゞ彳ハ} ∨:i:i:i:i://、__/
_,,....,,_
,-''":::::::::::::`''-、
ノ::::::::::::::::::::::::::::ヽ
ノ ̄\::::::::::::::/ ̄ヽ
_ノ ヽ、`''r-r'", ' ,ハ_ 当たり前だが、改革には常に団結が必要だ。
_イ_ _,.ヘーァ二ハ二ゝ- ヘ、_1_
_,-"::::rー''7コ-‐'"´`"''‐-=ブ、_::::.''-,_ しかしポーランド第二共和国というクニは、
"-..,,-'ァ/ /! ハ ハ !ヽ ヽ丶ァ-" 人口の35%を占める少数民族層から、完全に見放された。
!イ ,'| /__,.!/ V 、!__ハ、 |`、 ,1! 改革の機運は、この時点で完全に潰えた。
`! ,!ルi' (ヒ_] ヒ_ン) レi; ,イ ,)
,' ノ !' " ,___, " '! ヽ ( ..カラい言い方をすると、この国は何もかもが中途半端だった。
ノノ( ハ, ヽ _ソ ,ハ )、`、 平等なる市民社会も作れず、発展した工業国にもなれず、明確な未来像も示せなかった。
( ( )、>,、 _______ ,、イ({y( '` ) ) ..結局は旧来の因習がそのまま保存され、第二次世界大戦に突入する。
(y}
[><}
イノ
__ ______ ____
,´ _,, '-´ ̄ ̄ ̄`-、._ `:
'r ´ q_
,'==─- -─==キ
i イ iノ\イ人Mル/_ルヽイ ___________ この時期のソ連人口は3000万も増えたのに
レリイi (_ヒ_] ヒ_ン_) iリルノ .| | |
| !Y!"" ""'!Y!| | | | .ポーランド人口は500万も増えなかった訳か。
| L.」 U ~ |..L」 | | |
| | ||.ヽ、 ノ|| .| | | 戦う前からもう負けとるな・・・・
ルレ ル`ー----‐イル, .|_|___________|
γ⌒ヽ lニニニニ _|_|__|_
 ̄
.
_,,....,,_
-''":::::::::::::`''-、
ヽ::::::::::::::::::::::::::::ヽ
|::::::;ノ´ ̄\:::::::::::\_,. -‐ァ
|::::ノ ヽ、ヽr-r'"´ (.__
_,.!イ_ _,.ヘーァ'二ハ二ヽ、へ,_7 最終的にガリツィア地方における民族問題が解決したのが
_..,,-":::::rー''7コ-‐'"´ , `ヽ/`7
"-..,,_r-'ァ'"´/ /! ハ ハ ! iヾ_ノ スターリン時代であったというのが、この話の一番悲惨なところだ。
`!イ´ ,' | /__,.!/ V 、!__ハ ,' ,ゝ これはチェコスロバキアを含む東欧全体の傾向として、そうだった。
`! !/レi' ttテュ, rェzァ レ'i ノ
,' ノ !'"  ̄  ̄"' i .レ' スターリン以外の文明的な、公平で民主的な政策は全て失敗し
ノノ ( ,ハ. ― 人! .ポーランド人とウクライナ人の殺し合いは1947年まで続き
( ,.ヘ ,)、 )>,、 _____, ,.イ ハ .そしてユダヤ人は文字通り絶滅した。
, ィ ´  ̄ ー―- 、_
/ ヽ、
/ ... ... ヽ
/, , ,:: :ヽ ::ヽ ハ
, ' ' / ::/i ::, :: ` ゛ .., , ::: ハ
/ / ::/...., ....., , ..., , ..... ヽ; :::::l , ::: ' ,', この地域は、ポーランド国とウクライナ国の東西に分割され
/:,/ ::/ :::/ .:::::i l ::::l , ::',:. i ::::i:. l:::::: ':.!l
,'/, .::::i :::::l .:::::/l j ::::l ハ :ヘ::::. i :::::l::. :::::: l::lヘ ..大規模な焼き討ちと虐殺を伴う住民交換が行われた上で
y i :::::l :::::l ::::i ,:ハ :::ト,ト、ヘ ヽ_::. | ::::l::;:::::::::l::jベ、
' l ::叭 ::::',''''T''‐ll-ヘ :::!ヽ-<,ヌ´_ヘ :l :::::l´、::::: l::i ..ポーランド・ガリツィアとウクライナ・ハーリチナが完成したのである。
,.:::ハ::::::, ::lオテふ へ:',ヽ rッニヨホハ ::::i i::::ノ:/
ヘ:l ヘ:::::ヘ',゙ヘゥ::カ ムゥ::::タ j ::::i__ノ:::∧l
ヘ', へ、,::ゝ`‐' , `ー' ' ::::j:::::::/
!::ヘ/´ ̄ `ヽ , .::::イ::/i/ ..工業化が進み、地主の支配が打倒され、貧農たちの生活が向上して
,,∨ _r-、 ゙i , イ /,ノi/〈;フ ̄i
j_/ r' 、 \ヽ_、 ' /' ' / !、 そこまでしてようやっと、この地域のジェノサイドの歴史は収まったのだ。
ノ/ _ r\ヽ ,ハ/i / \
! ( , - 、 ヽ ! ' i‐' 、 / ,,,ィ;彡≡__,,\
i t ‐ 、゛j l、ヽ > 彡'',´ ''゙´ `i
〉 `ー- t i l ヽ 》 / }
j 'l ' ノi { j`i/ ∥ // / l
. ∧ミ `ー-' ッ{勹, -'゙ ,彡ヘ_ ∥ / i / j
__ _____ ______
,´ _,, '-´ ̄ ̄`-ゝ 、_ イ、
'r ´ ヽ、ン、
,'==─- -─==', i
i イ 、ノイ \_ルヽイ i | 賛成しようにも、スターリンだってのがなあ・・・・
レリイi (ヒ_] ヒ_ン ).| .|、i .||
!Y!"" "" 「 !ノ i | ..本当に日本てクニは平和じゃのぉ~~~。
L.',. ~ L」 ノ| .|
| ||ヽ、 ,イ| ||イ| /
レ ル` ー--─ ´ルレ レ´
.
, -‐-'´ ー- 、._
,、' : ,:-'´: : : : : : :\_
/: : :/: : : : : : : : : : : : \
ノ /:/ : /: : :, : : : : : :/: : :| : : : ヽ. オチを言うと、1992年以降のウクライナ歴史学会は、
 ̄ノ': : :/: :/;.、=7;、イ;i: : |: |:: : 、:::ヽ
! !: : /|': :'´ ;/'iァz;、,'ト: :/;イ: : : }: i l 北米ディアスポラ史学に乗っ取られた。
Ⅵ :( .!: : : :{ `''゛' '|:/ハ /イ;ィ:/イリ
] : :>,| : : | ィ)y'/;ィ:/ これはレーニンに敗北し、スターリンに追放された連中が
ノヘ:|'; :|: : | _ r./!' !' .アメリカ・カナダに亡命して作り上げた学統である。
__ .|ヽヘ` | 、 ´, ィ':i/|
/: :`丶、 ` {_´´l/リ [ウクライナ史]=[ウクライナ民族史]=[ウクライナ民族運動史] というハッピーセットなのが特徴で
/: : : : : : : \. ト ヽ、 ..つまり『ウクライナ民族運動を弾圧したモスクワ政権』という概念だけを目の敵にしている。
/;: ===: : : : : : L_\:ヽ_
</ ヽヽ: : : : :\= ̄{ .それ以外の要素は、政治的に〝なかった″事にされた。
! '、'、: : : : :ヽ、. !', 際どい事を言うと、『悪い事は全てロシア(東)から来る』という迷信を、公的に創作した。
/ ヽヽ、: : : :ヽ !: !
/ __ | \\. : : y i
r: : : : : : : : : ヘ ヽヽ .: :i: h
__ ______ ____
,´ _,, '-´ ̄ ̄ ̄`-、._ `:
'r ´ q_
,'==─- -─==キ
i イ iノ\イ人Mル/_ルヽイ ウクライナ史におけるポーランドの影響を、政治的に忘れた訳か。
レリイi (_ヒ_] ヒ_ン_) iリルノ
| !Y!"" ,___, ""'!Y!| .ポーランド支配に対するカウンターパンチャーとしての、
| L.」 ヽ-ノ L」 |
| | ||.ヽ、 ノ||. | モスクワ同化政策だったのに。
ルレ ル`ー----‐イル,
/:::::::::::::::::::: " ' :; ,,,
/:::::::::::::::::::::::::::::::::/"
r‐- .,_/::::::::::::; / ̄ヽ;:::::::| こんな方針で上手く行くんなら良いんだが、そうは行かなかった。
__.) `''ァ-ァ'"´, ' ヽ:::|
ゝ_, '"ソ二ハ二`ゝ- ヘ 、_ _ ゞ!._: 定期的に発生する政変の度に、この手の歴史政策も破綻するんだ。
、'"ヽ, '´ ,' ; `"''‐-=ブ、_,:::::"'''- ,,
ヽ_/i. /! ハ ハ ! ヽ ヽ 丶'ァ' '" 2010年に、ガリツィアの英雄バンデラを、(オレンジ革命)政府が顕彰すると
<、 ',. /__,.!/ V 、!__,ハ、 |`、`; ,!i; 東部・南部人が激怒している。
ヽ iV (ヒ_] ヒ_ン ) レ !; イ )
V i'" ,___, "' '! ヽ ( また「ホロモドール(人口飢餓)はヒトラー・ユダヤ人政策以上の大罪だ」とか言い出して
i,.人. ヽ _ン ,.ハ ) 、 `、 言うたんびにイスラエルがブチ切れてる。
ノハ > ,、 ._____,. ,,. イ;( ( '` .) ) もう何がなんだか。
.
『東欧のヤババな民族問題・ガリツィアという惨劇』
十ヽ -|-、レ |
d⌒) /| ノ ノ
.
.iヽ. __
<_`ヽ| }ヽヘ/i/i./ .|__
,> ヘ/ `v‐、/ ./、,,\
. ∠/,,. i! l .',-‐-、-、>
/// ハ /ヾ i ', ヽ
'゙ //⌒∨⌒ ヽiヾ }∧}
´| (●) (●) iヾ ', .因みにロシアの伝統として、農地は基本的に
/ .', .∧ i 農村共同体(ミール)の全員のものでした。
/ ∨∧i
{ |/ ` つまり耕地の配分は、毎年の集会の中で
ヽ、 ノイ´〉 .世帯ごとに振り分けられるものです。
<`ー――‐''" --‐'>
/ゝ、______,.. ‐''´:|ヽ これが後に共産主義を受け入れる土壌になりました。
|:i .i:::::.:|__|::|: ',
,i|::| .l:::::.[___]:| :i', ...しかしウクライナやベラルーシでは、耕地は個人のものだという文化が
|.|::| |:::::.し,,ノ::::|:.i ', 17世紀ごろにはもう確立していた様で
| !::', i::::( ):/ :|: :', 共産主義への反発は、このせいだと言う人もいます。
|: :ヽヽ,___ノ:::::::ゝ- '/: :.|: : ',
.!__.ヽ、 、:::::::::::/: : : |__i ..しかし地主の横暴から小作人を守ってくれるのは
___|―‐|―‐.|__⌒´ ..結局は共産主義だけだったのです。
/_________.|______.\
.
参考文献
ポーランド・ウクライナ・バルト史 伊東孝之、井内敏夫、中井和夫 編 山川出版 1998
(世界各国史20)
ベラルーシ 境界領域の歴史学 早坂眞理 彩流社 2013
アラブの500年史 ユージン・ローガン著 白須英子訳 白泉社 2013
ロシアを知る事典 平凡社 ..2004
東欧を知る事典 平凡社 .2015
「世界」臨時増刊号 No.957 ウクライナ侵略戦争 岩波書店 2022
社会人のための現代ロシア講義 塩川伸明、池田喜朗 東京大学出版会 2016
国境を越えたウクライナ人 オリガ・ホメンコ 群像社 ...2022
物語 ウクライナの歴史 黒川裕次 中公新書 ..2002
図説 ロシアの歴史(ふくろうの本) 栗生沢 猛夫 河出書房新社 2014
図説 帝政ロシア(ふくろうの本) 土肥 恒之 河出書房新社 2009
一冊でわかる東欧史 関 眞興 河出書房新社 2023
明石書店・エリアスタディーズ
ウクライナを知るための65章 服部倫卓・原田義也 2018
ベラルーシを知るための50章 ..服部倫卓・越野剛.. 2017
・ウクライナをめぐるロシアの政治エリート(1992―2014) 下斗米 伸夫 2014
・第一次世界大戦、ロシア革命とウクライナ・ナショナリズム 村田 優樹 2017
・両大戦間期ポーランドにおける
民主化と経済的自由主義政策の挫折 田口 雅弘 2001
・世界戦争100年と東欧 二つの忠誠心の間で 伊東 孝之 2015
・ポーランド共産政権支配確立過程におけるウクライナ人問題 吉岡 潤 2001
・第二共和政ポーランドにおける議会政治の幕開けと
民族的少数派:東ガリツィア・ユダヤ人の選択 安井 教浩 ..2007
・ウクライナ危機の背景の東西分裂とその行方 石郷岡 建 2015
・ウクライナ・ザカルパッチャ州現地調査から
ルシン人問題に寄せて ..家田 修 1999
・トランスカルパチア州におけるエリートと政党政治 松里 公孝 2000
・ウクライナ危機の起源 .松里 公孝 2022
・19世紀から20世紀初頭にかけての
右岸ウクライナにおけるポーランド・ファクター 同上 1998
・ヤロスラフ・フリツァーク著「ウクライナ史概略」
近代ウクライナ民族の形成 光吉 淑江 1999
・バンデラとバルデルシュタットをめぐる言説とその周辺 島田 智子 2010
・ガリツィア・ユダヤ人の窮乏 野沢 真理 2002
やる夫はアフリカで奇跡を起こすようです
やる夫たちは世界大戦を二度するようです
やる夫はフューラーになるようです
やる夫は赤い皇帝になるようです
やる夫たちで学ぶ日本国憲法 & 朝鮮戦争
AAで語る中世ロシア史
実のところ、ソ連時代のウクライナでは、非ウクライナ人を対象とした研究がほとんど行われていません。
変な言い方ですが、どうもこの頃からウクライナ民族主義というものが独善的になっていった気配があります。
ただこの辺の話は、ウクライナVSポーランドという対立を煽る事に繋がるので
ソ連共産党がそれを嫌った可能性もありますね。
最近、東欧歴史学会でホットな話題は、
19世紀のポーランド民族主義者たちの出自の議論です。
彼らは「市民としてはポーランド人」でした。
あくまで、ポーランド独立を求めていたので。
じゃあ、民族(或いは目標)はどうなのか、と聞くと不定形なんです。
リトアニアだったりベラルーシだったり社会主義だったりと、バラバラです。
あ、電電電子=サンへの返答は明日やらせていただく予定です。
内容は
「一般庶民の民族的感情」と「政府の主催する民族的政策」の乖離です
要するにこの地域の反露民族主義者というのは
どうも本気で『スターリン時代の恨み』とか考えていないな
というお話
60コマくらいかな?
茨城は昨日も雪でしたが
夜にはみぞれになっていました。
湿気があるのは良くても、日光が無いのは勘弁ねがいたいですね。
それでは、こいらで失礼しますだ。
ありがとうございます。
乙です。
乙んこ
投稿乙
乙
ゴルバチョフじゃなくプーチンでそれを言うのは無理があるでしょw
いやまあ、今の印象を塗り替えようと思えば、今一番の穏健派を持ち上げる必要があるから仕方ない面もあるけどさw
投稿乙
なんという火薬庫
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幾つもの外国勢力、民族主義に翻弄されてきた歴史を鏡見て一方に偏るなという内容だった